私の片隅散策「広島・江波編」

平成29年3月

広島・江波散策
・映画「この世界の片隅に」舞台探訪(広島・江波編)


この世界の片隅に 私の片隅散策

平成29年3月4日、広島市江波。
すずさんが生まれ育った街。

目立った観光地ではなく、この映画に出会わなければきっと訪れることもなかったであろう街。そんな街を私なりの目線で歩いてみようかな、と。

午前8時過ぎ。
宿屋を出発し活動開始。

広島駅から広島電鉄に乗車。
江波往復では元は取れないけど一日乗車券を購入。(市内線4回乗車でお得、原爆ドーム・中島本町と梯子する際は便利かと思います) 広島電鉄江波線の終点へ、と。

江波へ

広島電鉄江波線の終点へ、江波電停に向かいます。
広島電鉄は各地から集まった路面電車があちらこちらに走っており、見ていて飽きない。
すれ違った1913は京都市電出身。

江波

すずさんが嫁入りした時はまだ江波線は江波まで開通しておらず、昭和18年に江波線が舟入本町まで開通したばかり。
これは江波で埋立てていた新設軍需工場通勤需要。
すずさん幼年期は路面電車はまだ無かったのね。
江波停留所は昭和29年開業。

江波車庫後方に見えるのが皿山。
かつては皿山は江波山とつながっていて江波島と呼称。
また皿山を上山(かみやま)、江波山を下山(しもやま)とも。

すずさんの時代は射撃場があった。

朝日新聞デジタル:記事「射撃場跡(広島市中区)」

江波停留所にて案内看板を眺める。

ありゃー、見所たくさんあるよー
(事前調査が甘くて慌てる…街歩きのルートをざっと組み立て )

forever ほぉ〜江波! すばらしい、江波らしい。

おさん狐の像

かつて江波皿山に住んでいた「おさん狐」。
年齢80歳、500匹の一族を操る。 人をからかうも、人を苦しめることはなかった、と。また、京参りや伏見に位を貰いにいったりと風格があった、と。

江波停留所の隣の道路。
おさん狐は口に木の葉を咥えてました。

広島市江波児童館・江波第二保育園

すずさんが通っていた尋常小学校は、かつてこのあたりにあった。
尋常小学校から南に赴けば江波港。 学校と江波山の位置関係を把握。

太田川河川敷

尋常小学校のあった場所から太田川の川沿いへ。

太田川上流が中島本町や原爆ドーム界隈。 幼年期のすずさんが舟に便乗しておつかいへと向かった場所。

江波を横切るように渡る高架道路は広島高速3号線。

松下商店

太田川の河川敷から道路に戻ると松下商店がみえてくる。

すずさんとすみちゃんが元気に走って尋常小学校に通った道。
鬼イチャンの白木の箱(遺骨…)を家族とともに運び歩いた道。

松下商店。
往時と変わらぬ姿で、すずさんが育った時代が目の前に残っていた。リアルと映画がリンクした瞬間。
何とも言えない感動的な光景が拡がる。
窓にはロケ地マップが貼られおり、すずさんの足跡を辿るランドマークとしても機能していた。

丸子山不動院

松下商店の南側に小高い高台がある。
「丸子山不動院」
この江波地区は江波皿山、江波山、そして、丸子山の三つの島があり、その高台の一つ。
丸子山不動院は広島新四国八十八ヶ所霊場第76番霊場という。 また、丸子山の下部には古井戸も残る。

小さな稲荷祠が境内に鎮座していた。
この稲荷社、前述した、江波の「おさん狐」を祀っているともいう。

「丸子山不動院」
文化5年(1808)、江波の仲屋幸助が筑紫国に航海の際、豊後国の海中で漁師の網にかかった像を貰い受け江波に持ち帰り、丸子山に堂宇を建立。
大正5年(1916)火災消失し同年再建。

「丸子山不動院」丸子山からの眺望。

北側の太田川方面。
西側の江波皿山方面
南側の似島・安芸小富士方面。

安芸小富士が見える方向は、すずさんも波の兎とともに眺めた海。
(波の兎は後述の江波山ですが安芸小富士を眺めるには丸子山がベスト)

「丸子山不動院」境内に。

江波地区 戦死者戦病死者並原爆死者之霊

現実に呼び戻される空間。
ここは広島であった。
被爆の歴史とともに。
卒塔婆に頭を下げて合掌を…

江波港

丸子山から南に。
小さな小さな瀬戸内の漁港がみえてくる。

「江波港」
江戸時代は広島の外港として栄え半農半漁の集落であった。特に海苔とカキが採取され養殖が盛んな港。
明治期に宇品港が開港したことにより広島の外港の地位を譲る。

「江波」
江波がまだ島であった頃、漁業の餌が肥え魚も良く獲れたという。このことから良いエサ場の意「餌場」(えば)と呼ばれるようになり「衣波・衣羽・江波」と転嫁。

鎮守は「衣羽神社」。 すずさんたちが過ごした江波港を巡る。

海神宮

江波港の鎮守。江波港の出入口に鎮座。
海上交易と海上守護を願い江戸時代に創建。
御祭神は、大綿津見神。
現在の社殿は安政7年(1860)再興。

原爆に耐えた被爆建物。
江波港は爆心より3330mの距離。

海苔製造を生業としていた浦野家もきっとお世話になったであろう江波港の護り神。
幼年期のすずさんやすみちゃんは、この江波港を元気に駆けずりまわっていたのだろうなあ。
江波港の鎮守を前にして、夢想するひととき。

松下商店・江波港界隈。
広島ロケ地マップより。

聖山稲生神社

江波港の北西に。
「聖山稲生神社」が鎮座している。
鎮座地はもと海中の一小島であったと。江戸期の創建。
江波のこのあたりは徐々に埋め立てられていった歴史を持つ。

御神木は榎。樹齢300年超えとされている。
なんか変だなと思ったら、木の後ろ半分が失われている状態でした。

沿岸部では希少な巨木という。
飢饉の時、榎の葉は貴重な食料でもあった、と。

衣羽神社

江波港から南に江波山方面に歩く。
その江波山の北東側中腹に神社が鎮座。

「衣羽神社」(えばじんじゃ)
江波の集落の総鎮守。
御祭神は市杵島姫神、 多紀理比売神、多岐都比売命
いわゆる宗像三神(厳島三神)

鎮座年代は不詳なれど、正和2年(1313)編纂による安芸国国司所祭官社を集録した古代神名帳(官社神名帖安藝國官社百八十社)に「三位衣羽明神」とあり、広島市内でも有数の古社。
現在の社殿は宝暦3年(1753)、天井構造を「船底様式」で造営。

本殿は江波山の斜面に沿うように拝殿よりも一段高い場所に鎮座。
この拝殿と本殿は昭和20年8月6日の原爆に耐えた被爆建物。
爆心地より3,590mの距離。

御神木。

ふと見上げたら、御社殿の屋根瓦に狛犬がおられました。

江波山中腹に鎮座している衣羽神社から江波港を望む。往時から変わらず鎮座している江波の鎮守様。きっと浦野家(お父ちゃん、お母ちゃん、鬼イチャン、すずさん、すみちゃん)も初詣でここに参拝に来ただろうなあ、とか思いながらしばし佇む。

衣羽神社から山頂方面へ。
すぐ裏手に江波のお大師さま「龍光院」(広島新四国八十八ヶ所霊場第七十七番、江波の観音さま、お大師さま)
そして隣に「江波山気象館」

港方面から江波山に最短で向かおうとすると、いやがおうでも衣羽神社参道を進んでいくことになりますね。

江波山気象館

もとは昭和9年に建築された「旧広島測候所」。旧広島地方気象台。 原爆にも耐えた被爆建物であり、広島市重要文化財指定。

建築様式的には、20世紀初頭に花開いたドイツ表現主義の影響を受けたモダンな造形、というものらしい。

「江波山気象館」からの展望。

北側。広島中心部方面。
北東側。江波港方面。
南側。安芸小富士がちょっとだけ見える。埋立地方面。

「江波山気象館」
気象に関する展示がある中で、どうしても建物内にある原爆痕に目がいってしまう。

昭和20年8月6日8時15分頃。原爆の爆風で窓ガラスが吹き飛ばされ多くの破片が壁に突き刺さり痕跡が今も残っている。
江波山での爆風の速さは秒速700mだったと推定。

原爆痕の残っている部屋の片隅で。
何気なく馴染んでいました。

そうそう。 もう終わってしまったけど(3/20で終了)、訪れた時にちょうど開催されていた「すずさんの嫁入り」スタンプラリーにも参加しました。

江波山気象館(広島市江波)をスタートし入船山記念館(呉市)ゴール。

昭和19年2月
広島江波から呉へと、 すずさんの嫁入りを辿る、なかなか粋なスタンプラリー。

全部回ると記念ポストカードが貰えました。
ちょうどスタンプラリーのタイミングで広島に赴けたのも運がよかったと。

「江波山気象館」
戦前の鉄筋コンクリート造としては最末期の建造物としても価値があるこの建物。

そういえば、柳田国男の「空白の天気図」ではこの広島測候所での枕崎台風の記録が描かれているとのことで読んでみたくなりました。

さて、名残惜しいけど次へ向いましょう。

江波山公園

江波山の山頂。 すずさんが「コクバ」(焚き付け)を拾ってくる山
すずさんと水原が「波のうさぎ」を眺めた山

「困ったねえ」と晴れ着を被った珍奇な女(すずさん)が途方にくれていた山

そして、例のアングルを探す私w

江波山公園。 江波山の山頂。

実はこのあたりは眺望が良くない。3月の枯木だからまだ何とか向こうが見えるも、夏に訪れたら樹木の茂りで結構厳しさな状態。

例の位置関係を探す。

南側。今でこそ埋め立てられているが、向こうに微かに、似島の安芸小富士が見えるこの場所。確かにこの場所だ。

瀬戸内を向こうに感じるこの場所で、すずさんは「波のうさぎ」が跳ねる姿を描いたのだ。

「うさぎがよう跳ねよる。ほれ白い波が立っ取ろう 白いうさぎが跳ねよるみたいなが」
「ああ、ほんまじゃねえ 白うさぎみたいなねえ」


水原の運命を決めた兄の転覆事故死。
すずさんの脳裏に刻まれた江波の思い出。 安芸小富士を望むこの場所…

江波山公園。江波山の山頂。

戦後に開通した道路が江波山の下を抜ける。
江波トンネル。

江波山公園。
原爆の記録は至る所に残っている。それは広島市南端の江波も例外ではなく。

被爆者慰霊 母子愛の像

碑によせて
 昭和二十年八月六日午前八時十五分。
 一発の原子爆弾は相生橋上空五百数十米において炸裂した。一瞬にして街は阿鼻叫喚の場と化した。
 わが江波町の人的物的被害は中心部に比して軽かったが、時を経ずして、多くの負傷者が見るも無残な姿で殺到し、その数は一万人を突破した。
 一方、炎熱に耐えかねて本川に入水した無数の死傷者が折からの下げ潮にのって江波町の波打ち際に漂着して来た。
 その日、江波町は夏祭りであったが暗転して惨劇の街と化していった。
 肉親探し、救護、看護、更には火葬等の諸活動は町内会・警防団・婦人会等、役割を分担しながら秋まで続いた。
 あれから時は流れて半世紀、今日に至る江波町有縁の犠牲者は推定一万数千万にも及んでいる。
 襟を正して、これらすべての犠牲者の魂安かれと祈ることは現代に生きる者の責務であろう。更には人類の滅亡につながる核兵器の廃絶を願い、不戦の決意も新たに、ひいては世界恒久平和の実現を誠実に希求するその証しとして、心ある人々の浄財をもってこの碑を建立するに至った。
 碑面は「平和希望」を礎に、不変の真理である「おやこの愛」と「生命の尊さ」を訴えた。作者は中国広州美術学院教授曹崇恩先生であり、日中友好の架け橋ともなればとの想いも含まれている。
 願わくばこの心を子々孫々に至るまで受け継ぎ護り給わんことを。

平成七年八月七日 除幕 江波地区社会福祉協議会

「来月の6日は江波のお祭りじゃけえ、早う帰っておいでね…」

その日、江波町は夏祭りであったが暗転して惨劇の街と化していった。

あぁ…

廣島工業港 魚介藻類慰霊碑

昭和15年11月。
すずさんが呉に嫁入りに行く3年ほど前。(嫁入りは昭和19年2月)
江波沖を埋め立てる工事がはじまる。 この慰霊碑は埋立てにあたって江波沖の魚介藻類の生命を奪うことを慰霊するという珍しいもの。

魚介藻類慰霊碑「生物ノ多クハ多年漁家ノ人為増殖シテ其ノ生活ヲ支エ來リシモノナレバ此ノ漁場ノ異變ハ直チニ其ノ生活ニ甚大ナル影響ヲ及ボスモノナリ」 浦野家の海苔も江波港埋立で廃業。
「うちも江波の埋め立てで海苔はやめてましてのう」

廣島工業港 魚介藻類慰霊碑
碑文裏

廣島工業港修築ハ萬般ノ準備整フテ着工ノ日(昭和十五年十一月三日)近キニ在リ
此ノ工タル實ニ百三十萬坪ノ地域ニ及ブ大事業ニシテ地下ニ埋没シ生命ヲ絶ツ魚介藻類其ノ數ヲ知ラズ
而モ是等ノ生物ノ多クハ多年漁家ノ人為増殖シテ其ノ生活ヲ支エ來リシモノナレバ此ノ漁場ノ異變ハ直チニ其ノ生活ニ甚大ナル影響ヲ及ボスモノナリ
然レドモ國家興亡ノ此ノ秋ニアタリ本工業港完遂ノ一日モ速カナランコトヲ待望スル朝野ノ念ニ應ヘ漁業関係者各位ハ萬苦ヲ忍ビ漁業関係者各位ハ萬苦ヲ忍ビ敢然此ノ擧ニ賛同シ協力支援ノ態度ヲ表明セラレタリ
茲ニ魚介藻類ニ回向スルト共ニ漁業關係者各位ニ深甚ナル敬意ト感謝ヲ捧グ

昭和十五年九月二十一日魚介藻類
慰霊法要ニオケル廣島縣知事
相川勝六氏ノ式辭ヨリ抜萃

江波山(高さ37.6m)を後にして次へ。

江波山は元々「江波島」。
江戸時代から埋め立てが進み文化8年(1811)に陸続きに。その当時の江波島は江波山(下山)と皿山(上山)と連なっており両山の土砂を埋立に活用して現在に至る。

なんとなく陸と海の境目を歩く。
左側に見える建物が「広島市江波山気象館」

こうやってみると、思ったほどには高くない。

昭和の頃は江波と対岸の草津は渡し船があったり干潮時に遠浅の海を歩いて渡ったりもできたようだけれども、平成の世になると高架道路が江波を東西に貫いている。広島南道路・広島高速三号線。草津ー江波ー吉島ー宇品を結ぶ。奥が草津方面。

シュモーハウス

シュモー博士が被爆者の為に建てた住宅のうち唯一の現存建造物。
2012年より広島平和記念資料館の附属展示施設。
ちょうど3月末まで映画に関するパネル展も行っていたので足を運んでみました。

「シュモーハウス」この世界の片隅にin江波
「波のうさぎ」鏝絵(こて・え)の新聞記事など。

関連パネル展。

原爆ドームと中島本町。T字型の相生橋。
被爆直後の昭和20年10月5日撮影。

昭和26年(1951)に米国のフロイド・シュモー氏は原爆により家を失った人々の為に尽力し、該当施設はシュモー氏にとって集会所として建設された。

江波の界隈を改めて。 ロケ地マップ抜粋。

さて時刻はそろそろ12時になろうかという頃合い。
足は自然と松下商店の方向に向いていた。

江波には有名なラーメン屋があるけども、それじゃあ味気ない。
せっかくなので、松下商店の右隣にある「お好み焼き屋」さんに。

「お好み焼き・わいわい」
松下商店の隣。先客が1人。映画を見て訪れたとか。しばし談笑。
私のあとからは近所で仕事をしていた方が2人来客。そのあとにやはり映画ファンが1人来客。
お姉さんが忙しく鉄板でお好み焼きを焼いてくれます。

「お好み焼き・わいわい」

アツアツの鉄板。広島ならではのお好み焼き。
お姉さんがテキパキと作ってくれます。

あー、なんか良いですね。こういう雰囲気。
見ているだけで楽しいです。

出来ました。アツアツです。
(生ビールをうっかり頼んでしまいました。
(熱すぎたので取り皿もらいました。

旨いです。
鉄板で食べる。そして広島江波で食べるというシチュエーションが旨さを倍増させてくれます。

江波停留所に戻る。午前9時半に江波停留所をスタートして12時半に戻ってきたので約3時間の散策。

すずさんの足跡を辿りながら、
原爆と向き合う旅ともなった江波散歩。
楽しみつつ、神妙になりつつの
充実した散策となりました。

13時半頃。広電で広島駅に戻ってきました。
広島駅は爆心地より1.9kmの場所。

さようなら
さようなら江波
さようなら広島

乗り込んだJR呉線は「広」行きでした。
広(広工廠の地)は今回いけませんでしたが。

「江波」編はこのあたりで〆ていきましょう。


平成29年3月 広島・中島本町と原爆ドーム散策・平和記念公園 ・原爆ドーム ・レストハウス ・映画「この世界の片隅に」舞台探訪(広島...

※呉編は準備中


「この世界の片隅に」 散策ガイド

現地散策の参考に。
「この世界の片隅に ロケ地マップ」 (広島中島本町・広島江波)

有志作成のgoogleマイプレイス この世界の片隅に_ロケ地MAP

映画「この世界の片隅に」ゆかりの地をマッピングしています。 独自の情報、考察を追加しています。 ●青実線=すず幼少期の海岸線 ●黄色実線=すずが砂糖を買出しに行った「とうせんば」など Filming locations guide to "IN THIS CORNER OF THE WORLD";"Kono seka...

広島散策。江波散策。
街を歩けば常に感じさせられる戦災と原爆の爪痕。
すずさんたちの生きた世界の片隅を垣間見つつ。
現実と虚構の狭間をゆらゆらと漂いながら。
不思議な心持ちでの重厚な聖地巡礼のひとときでした。

江波編〆