海軍中将 真木長義 邸(調布市)

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令和元年8月撮影

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真木邸(真木家住宅)
 国登録有形文化財(建造物)

明治43年(1910)、海軍中将 真木長義(男爵)の隠居所として、長男・真木平一郎によって、現在の港区白金二丁目に建設。
その後、昭和11年秋から昭和12年5月にかけて、真木平一郎が調布の多摩川左岸の景勝地であった現在地に移築した邸宅。

明治後期の和館洋館併存住宅として貴重な建造物
 洋館部は、木造2階建、切妻造、桟瓦葺
 日本館部は、木造平屋建、寄棟造、桟瓦葺

平成12年(2000)、国登録有形文化財建造物に登録。

平成23年(2011)に「日本館」と「調度品」が調布市に寄贈。
平成29年9月に真木家先代当主婦人がなくなったことにより、「洋館部」ほか全てを調布市に寄贈。

現在は調布市郷土博物館の管理物件。(非公開)


真木長義(1836-1917)
最終階級は海軍中将、男爵。佐賀藩士。
長崎伝習所において海軍全般の軍事を学び、戊辰戦争では「電流」艦長として参戦。
明治4年、真木中佐は連合艦隊・常備艦隊の走りとなった、小艦隊指揮官に就任。この「小艦隊」は実質的な日本海軍の艦隊発祥でもある。

明治18年(1885)、海軍中将となり海軍機関学校長、将官会議幹事、呉鎮守府建築委員長などを経て明治38年(1905)に退役。
明治39年(1906)から明治44年まで貴族院議員をつとめた。
大正6年(1917)3月2日に死去。墓所は青山霊園。

真木平一郎(1869-1945)
明治2年に真木長義の長男として産まれる。
工学博士として京都市電や東京市電、感城市電などの敷設主任技師、技師長としてかかわった。真木男爵家を襲爵。三枝守富の次女 (大隈重信の養女) である知恵と結婚。

真木家住宅の外観写真

敷地外から撮影。令和元年(2019)8月

洋館部の玄関車寄せ
日本館(和館)
門柱

参考データ

文化遺産オンライン 真木家住宅日本館

洋館とともに白金から現在地に移築され、洋館の東方に南面して置かれ、洋館とは渡り廊下でつながれる。木造、平屋建、寄棟造、桟瓦葺で、東南に書院座敷を配する。材料、施工とも上質な造りになり、明治後期の和館洋館併存住宅の事例として貴重である。...

文化遺産オンライン 真木家住宅洋館

白金に所在した海軍中将男爵真木長義の邸宅を移築したもの。北面東端にハーフティンバー風の車寄を突出させて玄関とし、南面中央には八角のベイウィンドウを張り出す。外装化粧煉瓦の貼り方や内部ステンドグラスの意匠に新味が認められる。...

調布市議会議員のレポート(2012年の見学会)

14時 真木家住宅見学会が行われました。真木家住宅は、佐賀藩出身で日本海軍の草創期に海軍中将として...

所在地

所在地:東京都調布市上石原2-48-4

〒182-0035 東京都調布市上石原2丁目48−1

現在は調布市郷土博物館の管理となっている真木家住宅。
一般公開を市民として期待してますので、再整備等よろしくお願いいたします。


真木長義の墓

真木家の墓は青山霊園にある。
場所は1種イ4-6

宮中顧問官
海軍中将
正二位勲一等男爵真木長義墓

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