豊橋の戦跡散策

平成30年6月撮影

  • 愛知県豊橋市内に点在する戦争史跡関連の散策
  • 主に豊橋公園と愛知大学豊橋キャンパスを中心に

平成30年6月下旬。愛知県豊橋市に足を運ぶ機会がありまして。軍都豊橋と呼ばれた街。
「豊橋公園」は歩兵第18聯隊
「愛知大学豊橋キャンパス」は第15師団
今回はこの2つを軸にして散策を展開していきます。

位置関係
「国土地理院」地図・空中写真閲覧サービス
1946年(昭21)07月16日の米軍撮影(ファイル:USA-M197-A-3No1-10)写真及びgoogle航空写真を加工

今回は豊橋陸軍墓地、工兵第15大隊、豊橋海軍航空隊方面には行けませんでした。18聯隊と15師団をメインに散策。

豊橋公園

かつての吉田城跡(三河吉田藩/豊橋城・豊橋藩)
明治維新後の版籍奉還により明治政府管轄。明治4年(1871)兵部省管轄。吉田城址に兵舎建設が進められ明治18年から大日本帝国陸軍歩兵第18連隊が移駐。

歩兵第18聯隊の正門と哨舎(豊橋公園)

明治31年に新設された営門。当初は木製であったが昭和10年台にコンクリート製に変更。

公園の入口にいまも残る哨舎が味わい深くて素晴らしい。
ついつい歩哨のように中に入って立ってみたくなったり。

歩兵第18聯隊・弾薬庫跡 (豊橋公園)

コンクリート製。床下は換気のために開けてあり、屋根は万が一の爆発時には爆風が抜けるように簡素な作りとなっている。

歩兵第18聯隊・馬頭観世音(豊橋公園)

紀元二千六百年建之
中部第六十二部隊長松本信吉書
昭和16年の紀元2600年に際して建立。軍馬守護神として馬頭観世音を祀る。

豊橋公園
公園内の片隅に寄せられていたこれはなんだろう。
庭園の残骸なのかな。
獅子だったり灯籠だったり。
気配的にはコンクリの雰囲気は新しそうなので、求めている史跡とは関係ないと思われるが。

歩兵第18聯隊・記念樹(豊橋公園)

表に「記念樹」、裏に「昭和5年兵」と刻まれている。
オガタマノキ(招霊木)

「歩兵第十八聯隊之阯」(豊橋公園)

昭和39年建立
副碑・平成9年建立
歩十八会(戦友会)
志を同じくするわれら会員は、この碑のもとに相集い、歩兵第18聨隊戦没将兵の業績顕彰及び慰霊並びに戦友、遺族の相互親睦及び福祉向上に努め、その歴史を後世に伝えるものである…

歩兵第十八聯隊之阯 裏面
我歩兵第十八聨隊ハ明治十七年夏名古屋鎮台下ニ創設 
八月十五日軍旗奉戴 
翌春豊橋旧城址内ノ新営ニ移リ尓後衛戍ス
(略)
大東亜戦争ノ緊迫スルヤ十九年二月南方ニ赴援シ防守に努ム 
夏米軍ノ大挙来攻ニ会シ衆寡敵セズ相次デさいぱん島及ぐあむ島ニ軍旗ヲ奉焼シテ玉砕セリ…
(略)
茲ニ同志相謀リ地ヲ旧営址ニ選ビ碑ヲ建テ事ヲ録シ先人陣中ノ偉績ヲ顕彰シ併セテ殉国ノ英霊ヲ弔イ其功勲ヲ不朽ニ伝ウ
昭和三十九年八月 元歩兵第十八聨隊々員有志建

歩兵第十八聯隊
明治17年(1884)名古屋にて設置され明治19年までに豊橋に移駐。
大東亜戦争では昭和19年3月にテニアン島進駐途中で輸送船が雷撃され聯隊は大損害を受けつつサイパン島に上陸。5月にグアム島に移駐。7月に米軍がグアム島に上陸し激戦を繰り広げ7月25日に軍旗奉焼し歩兵第18聯隊は玉砕。

彌健神社跡
奮藩祖豊城神社旧鎮座地(豊橋公園)

歩兵第18聯隊の営内神社跡。
鳥居は昭和8年4月3日建立(献納/三遠國防義會)
現在、社殿があった場所には「神武天皇銅像」が移設されている。
神武天皇像は、かつて歩兵第十八聯隊の戦病死者を追悼するために建立された軍人記念碑が遷座したもの。

神武天皇像(豊橋公園)

装いは故実に基づいた古代武人を模したもの。御尊顔はよりどころがないために、かしこくも 明治大帝をお写し申し上げた銅像。
かつては歩兵第18聯隊練兵場にて戦病死者を追悼する軍人記念碑として設置され敗戦後に当地に遷座。

旗杭は昭和12年4月、國防婦人會田原町分會の献納。

此処に歩兵第百十八聯隊ありき
歩兵第118聯隊記念碑 (豊橋公園)

碑文
軍靴の跡
 我が歩兵第百十八連隊(中部第六十二部隊)は昭和十六年四月一日国家の要請に応えこの地において編成され同年五月二十一日初代聨隊長陸軍大佐徳弘保衛が宮中で天皇陛下より軍旗を親授さる
 昭和十八年七月六日第四十三師団急遽編成に伴い主力は軍旗を奉じ静岡に移駐 或る者は他部隊に転属さる 
 越えて昭和十九年五月三十日祖国防衛の大任を帯び海路はるばるサイパン島守備の途につくもその大半が敵潜水艦のため海没の悲運に遭う
 一部上陸せるものは間もなく開始されたサイパン島攻防戦において昭和十九年七月七日軍旗とともに聖寿の万歳と皇国の弥栄を祈念しつつ全員玉砕す
 ここに生存者将兵相計り記念碑を建立 尽忠の偉業を顕彰し殉国の英霊を弔う

昭和五十五年十一月二日
 元歩兵第百十八連隊関係者有志建之

歩兵第二百二十九聯隊記念碑 (豊橋公園)

碑文
 歩兵第二百二十九聯隊は、昭和14年8月7日この地に於て陸軍大佐吉武秀人を初代聯隊長として編成完了。
 9月13日軍旗を授かり、10月13日豊橋を出発、征途についた。
 以後、泥濘の良口会戦をはじめとする南支那における幾多の戦闘の後、第二代聯隊長陸軍大佐田中良三郎率下の香港攻略作戦に始まり、南部スマトラ作戦、ガダルカナル島の戦いを含むニューギニア作戦、更に陸軍大佐平田源次郎を第三代聯隊長とするムンダ、ズンゲン、ラバウルなどを戦場としたソロモン及びビスマルク群島防衛戦から第五次ビスマルク戦に至るまで、大東亜戦争における最も画期的な作戦に参加した。
 かくて戦局不利とはいえ志気未だ軒昴たるうちに終戦を迎え、昭和20年8月18日ニューブリテン島のラバウルにおいて聯隊長以下慟哭裡に光輝ある歴戦の軍旗を奉焼、一塊の灰と化せしめた。
 聯隊生存者一同は、この灰をいま聯隊発祥の地に埋め、英霊の安らかんこと、足跡のとこしえならんことを祈念するものである。

昭和45年9月15日
 元歩兵第二百二十九聯隊戦友会(福々会)之を建立す

歩兵第十八聯隊
将校集会所通用門門柱跡 (豊橋公園)

将校集会所通用門の門柱跡。コンクリート製。上部に黄色のタイルで装飾が施されている。

歩兵第十八聯隊 聯隊記念碑跡 (豊橋公園)

かつてここには聯隊記念碑があった。もともとは上に砲弾型の碑が乗っていたというが現在は台座だけが残る。
戦後に台座の文字を埋めたようで、セメントの下に碑銘や碑文が埋もれていた。

表「聯隊記念碑」
裏「一北満派…」「一済南事変」と一部露出している。

歩兵第十八聯隊 貯水槽跡 (豊橋公園)

防火貯槽跡とされる部位。コンクリートの平面部が残る。

歩兵第十八聯隊 灰捨場跡 (豊橋公園)

煉瓦造り。
現在は塞がれているが上部の穴が開いており、裏側へ灰を掻き出して堀に落ちるようになっている。

戦災復興碑 (豊橋公園)

昭和33年10月建立

碑文
太平洋戦争の戦局非にして国内各都市が敵機の来襲におびやかされつつあつた昭和二十年六月十九日夜半ついに我が豊橋市も敵機B29の集中攻撃を受け市民必死の防禦もその甲斐なく瞬時にして市街地の大半を壊滅せしめらるに至つた
被災坪数128万6千、焼失戸数1万6千886、罹災者7万1502、死者624、重軽傷者344の犠牲を出し、惨憺たる焼土の混乱と窮乏とは人をして再び起つ日あるやを疑わしめたしかるに市民愛郷の熱誠と復興の意欲とは打つて一丸となり全燼なおふすぶる荒廃の中にこの日から雄々しくもたくましき建設が始められた
爾来十有三年全市民の刻苦たゆまぬ復興の努力は着々として功を奏し全国戦災都市にさきがけ産業経済文化の要衝として旧に倍する大豊橋市の盛容を見るに至つた今や再建復興の業成るに及びいたましくも尊き当時の犠牲者の冥福を祈り幾多の窮乏と苦難を排してこの大業に参加した市民不滅の業績をたたえ本市悠久の前途を祝福してここに戦災復興記念の碑を建立し大豊橋市の象徴とする
昭和33年10月

吉田城鉄櫓(豊橋公園)

内部は無料公開もしているけど、この日は外部のみで。

歩兵第18聯隊・西門門柱

豊橋公園の西側、豊橋市役所に面した国道1号線の脇に保存されている。
煉瓦造りの門柱で笠石は花崗岩。
明治18年の聯隊創設時は営門として使用されていたという。
国道1号線工事のために昭和34年に現在地に移築。
現在は門柱部と木製扉部をわずかに残している。

豊橋市公会堂

豊橋公園・市役所の手前にある「豊橋市公会堂」
昭和6年(1931)8月24日竣工。国の登録有形文化財。太平洋戦争末期の昭和20年6月の豊橋空襲で市が大きな被害を受けた際には豊橋市役所の機能がこの建物に一時移転している。


愛知大学豊橋キャンパス

かつての第15師団

歩兵第60聯隊正門跡
( 愛知大学豊橋キャンパス副門 )

現在は愛知大学豊橋キャンパスの副門
愛知大学前駅のすぐ隣に大学の門がある。
今風にリニューアルはされているが

当時の門柱の面影も残しつつ。(当時の門柱ではないと思われますが。)
まずはここからキャンパス散策と参りましょう。

第15師団
豊橋陸軍教導学校
豊橋陸軍予備士官学校

日露戦争で日本は従来師団の総てを動員してしまった為に本土駐留師団がなくなる事態に陥ってしまった。そこで「第15師団」を含む4個師団が新設され第15師団は明治38年(1905)4月1日に愛知県豊橋市で編成。

大正14年(1925)のいわゆる宇垣軍縮にて第15師団は第13・第17・第18師団と共に廃止される。宇垣軍縮で廃止された第15師団の残された施設を利用して、昭和2年に下士官候補者教育のため「豊橋陸軍教導学校」が開設され、昭和14年には甲種幹部候補生教育の「豊橋陸軍予備士官学校」が開設。 ゆえに本記事では同じ敷地内で「第15師団」だったり「陸軍教導学校」だったりが交じります 。

第15師団そのものは、日中戦争に際して大正14年に廃止された師団番号を利用し復活している。第二次編成としての第15師団は昭和13年に編成。この第二次編成は豊橋とは関係せず。

豊橋第15師団の地は、宇垣軍縮後は騎兵第4旅団司令部を経て陸軍教導学校、陸軍予備士官学校が置かれ、戦後は愛知大学へと推移していく。

豊橋陸軍教導学校・予備士官学校の神社跡
(愛知大学豊橋キャンパス副門広場)

歩兵六十聯隊正門から敷地内に入ったすぐの場所にこんもりとした円形造園がある。この場所にかつて陸軍学校時代は神社が鎮座していたという。
今は格別な何かは残っておらず空間だけが物語っているような雰囲気。

豊橋陸軍教導学校・吹雪山
(愛知大学豊橋キャンパス学生会館裏)

昭和2年の昭和天皇行幸を記念して昭和6年に陸軍教導学校の生徒によって築かれた小山で吹雪山と命名された。
山頂には記念碑が建てられている。陸軍第15師団司令部開庁から豊橋陸軍教導学校開校、豊橋陸軍予備士官学校、そして閉校まで物語る記念碑。

豊橋陸軍教導学校・吹雪山記念碑
豊橋陸軍教導学校時代の構内図が描かれている。
愛知大学豊橋キャンパス内で現存している建物は後述しますが「大講堂」「将校集会所」「養生舎」「機銃廠」「学校本部=第15師団司令部庁舎」

歩兵第60聯隊・将校集会所門柱

コンクリート製門柱 (愛知大学豊橋キャンパス内哲学の森)

歩兵第60聯隊・将校集会所
(愛知大学豊橋キャンパス・旧研究所)

よくぞ残ってくれましたといった感じです。
陸軍のシンボル五芒星もありますね。

豊橋陸軍教導学校大講堂
(愛知大学豊橋キャンパス第二体育館)

陸軍教導学校の大講堂として昭和2年に建立。鉄筋造。

天皇陛下行幸記念松
豊橋陸軍教導学校大講堂前
(愛知大学豊橋キャンパス第二体育館前)

昭和2年開校の陸軍教導学校に昭和天皇が行幸されたことを記念して植樹された松。当時の橋陸軍教導学校大講堂前に植樹された。

豊橋陸軍教導学校火薬庫(火薬倉)土塁跡
(愛知大学豊橋キャンパス・プール周辺)

プールの周辺に残る土塁は火薬庫の名残。 火薬庫は当時は土塁で覆われており、今でも土塁の一部が大学構内に残っている。

皇太子嘉仁親王殿下御手植松
(愛知大学豊橋キャンパス短大門付近)

大正天皇が皇太子時代の明治43年11月20日に豊橋偕行社(後述)に御駐泊された際にお手植えされた松と記念碑。 記念碑は昭和3年11月の御即位式に建立されている。

豊橋偕行社跡
(愛知大学短期大学本館跡地)

豊橋偕行社を戦後は愛知大学短期大学本館として利用されていたが老朽化により平成23年(2011)に取り壊し。
偕行社は各師団に置かれていた陸軍将校の集会所・社交場(将校倶楽部)を兼ねた一種の迎賓館施設。

在りし日の姿~Wikipediaより参考

第十五師団機銃廠
豊橋陸軍教導学校二機銃廠
(愛知大学中部地方産業研究所所属産業館)

明治41年に建造された機銃整備のための建屋。 基礎は煉瓦、壁は下見板張。
屋根瓦に陸軍のシンボル五芒星アリ

皇太子裕仁親王殿下御手植松
碑は大正14年に第15師団廃止の際に建立。

久邇宮邦彦親王殿下お手植松
大正7年、第15師団長として演習台覧の際の御手植松。

御大典記念幟立
昭和天皇即位礼がおこなわれた昭和3年11月10日建立。

豊橋陸軍教導学校・養正舎

昭和2年建立。 建屋の裏の塀は豊橋陸軍教導学校時代に設けられたコンクリート製の塀。 豊橋鉄道との境目。

豊橋陸軍教導学校・塀

昭和2年の豊橋陸軍教導学校時代に設けられたというコンクリート製の塀。 豊橋鉄道の線路との境界線をになっている。 現在も愛知大学の境界線。

第十五師団司令部址

明治41年(1908)誘致運動をした豊橋市に設置された。この地には師団司令部のほか、騎兵第4旅団司令部、歩兵第60聯隊などが置かれた。しかし師団は大正14年(1925)に廃止となり、その後は陸軍予備士官学校などに利用された。

陸軍第15師団司令部庁舎
(愛知大学旧本館)

国登録文化財 陸軍第15師団司令部庁舎として明治41年(1908)建立。 建物は木造2階建、寄棟造の桟瓦葺で、両翼屋を背後に突き出したコの字形の平面形を持つ。外壁は板貼りで装飾をあまり用いない軍隊関連建物らしい簡素な造り。木造の現存司令部としては貴重。

第15師団司令部庁舎
(愛知大学旧本館・愛知大学記念館)
正面

裏側はコの字。

第15師団司令部庁舎 (愛知大学旧本館・愛知大学記念館) 館内内部公開もしてますので入ってみましょう。
公開は月~土曜(日月祝は休館) 開館時間は10:00から16:00まで。 日曜と祝日は入れないのでご注意を。

愛知大学記念館は、愛知大学に関わる資料や愛知大学内研究機関の資料の展示しています。建物は文化庁登録有形文化財に指定されています。

正面入り口

正面階段

入り口の階段をあがった2階の正面
陸軍第15師団司令部時代には師団長室、戦後は学長室として使われた部屋

2階廊下

2階から外を

脇階段
けっこうな軋み音を感じた

1階

この日は見学者は私以外には居ない空間。
贅沢な時間を過ごすことが出来ました。
ありがとうございました。

第15師団司令部・正門
(愛知大学豊橋キャンパス正門)

石造りの門柱が残る。 この正門の奥に第15師団司令部庁舎がある。 このあとは愛知大学を離れて、周辺の関連史跡を見て廻りましょう。

第3師団兵器部豊橋出張所・正門と哨舎
(南部中学校)

愛知大学豊橋キャンパス(第15師団)の南方には第3師団兵器部が展開されておりました。
豊橋鉄道の線路越しに当時の哨舎と正門が保存されている。
南部中学校には、これ以外にも当時の門があるようだけれども校内は未見。

門柱・騎兵第26連隊跡?
(合同宿舎王ケ崎住宅敷地内)

詳細はわかりませんが、不自然極まりなく門柱が残ってました。
所在地には騎兵第26聯隊の場所。
道路を挟んだ向こう側は騎兵第25聯隊。
コンクリで煉瓦を隠すように覆っていますが、コンクリの上から扉金具も見えますね。

騎兵第26聯隊跡 門柱と哨舎・記念碑
(王ヶ崎東公園)

哨舎があるとついつい中に入って歩哨をしてしまいます・・・

騎兵第26聯隊跡

騎兵第26聯隊跡碑
松井麻之助書 松井麻之助は終戦時の騎兵第26聯隊長(陸軍中佐)。
西竹一らと共に、1936年のベルリンオリンピックに馬術競技日本代表として出場した経歴を持つ。戦後は調教師調教師として活躍。

騎兵第4旅団
 騎兵第26聯隊
明治42年4月1日 創設
明治42年9月23日 軍旗拝授
昭和21年5月18日 復員解隊

戦歴
昭和7年10月~昭和13年7月 満洲事変
昭和13年8月~昭和16年11月 支那事変
昭和16年12月~昭和20年8月 大東亜戦争

昭和46年軍旗拝授記念日
騎兵第26聨隊会建之

騎兵第26聯隊
創立以来在隊者将兵数
豊橋駐屯時代 明42.4~昭7.9 約7000名
満洲事変参加 昭7.10~昭14.7 約3000名
支那事変参加 昭14.8~昭16.11 約3500名
大東亜戦争参加  昭16.12~昭20.8 約4000名
計 約17500名
祖国のため殉じた戦(病)死者数 440余名
聨隊が従事した戦闘回数 230回

騎兵第26聯隊
聨隊が受けた賞詞感状
昭和14年4月 南昌攻略作戦 賞詞授与
昭和14年7月 襄東会戦 感状授与
昭和16年6月 中原会戦 賞詞授与
昭和18年9月 武号作戦 感謝状授与
昭和19年11月 一号作戦 感状授与
昭和20年3月 老河口作戦 感状授与
此の碑の建設に直接協力した人員数 1000名
(以下略

騎兵第26聯隊
軍旗遺品合祠記念碑
明治42年9月23日明治天皇から親授された軍旗は聨隊の象徴として戦中嚇々の武勲を樹てたが昭和20年8月25日北支河南省郾城で奉焼された
奉焼された灰の一部を秘かに持ち帰った者数名が奉持していたので靖国神社に奉納すると共に茲にこれを合祠することにした
昭和63年4月28日騎兵第26聯隊会

愛馬の鬣等埋没記念碑
我が聯隊の機動力の源泉として戦場を雄飛した軍馬のうち最後までその役に盡した960余頭は戦後異国にありて1頭だに祖国に帰ることはなかった
幸いに復員者数名が愛馬の鬣を持ち帰り保存して居られたのでそれを集め茲に埋没して愛馬に対し限りない感謝と親愛の情を披瀝しその霊を悼むものである
昭和63年4月28日騎兵第26聯隊会

騎兵第26聯隊跡 門柱と哨舎、記念碑が残る公園。(王ヶ崎東公園)

輜重兵第15大隊門柱
(愛知県立豊橋工業高等学校)

高校の敷地内に門柱が残されている。
文教地区はかつては軍事関連の場合が多い。
 愛知県立豊橋工業高校は輜重兵第15大隊
 愛知県立時習館高校は野砲兵第21聯隊
 豊橋市立福岡小学校は騎兵第19聯隊

時間都合でこのエリアはこのぐらいにしまして次の目的地に移動します…

愛知大学界隈から15分ほど北東に歩いていくと愛知大学が管理している飛地がある。

「第15師団長官舎」 (愛知大学公館) 

豊橋市指定有形文化財 明治45年(1912)建立。
第15師団長官舎→豊橋陸軍教導学校長官舎→豊橋陸軍予備士官学校長官舎。
昭和21年に愛知大学開設に伴い愛知大学学長公館などに使用。

「第15師団長官舎」 (愛知大学公館) 
豊橋市指定有形文化財
明治45年(1912)造。
洋館と和館が併設された平屋。洋館は公室、和館は私室として利用。 和漢洋館とも木造寄棟造桟瓦葺。
ほぼ完全の状態で残る師団長官舎としては全国でも稀な例であり、明治末期の和館洋館併設の木造住宅としても貴重。

洋館部分

和館部分

和館部分
1986年のカレンダー
30年以上、時を止めた空間がここにはあった

いつの日か、公開することはあるのだろうか・・・

「第15師団長官舎」(愛知大学公館) 
第15師団長官舎の地から豊橋鉄道小池駅に向かう途中、見つけました。

陸軍省所轄地 陸軍境界標石

9時半に愛知大学到着して散策開始、散策終了させたのが12時半。 ざっと3時間で愛知大学とその周辺の戦跡散策をしたかたちとなりました。
豊橋編はこれにて〆

今回、行ききれなかったところ(宿題)

時間の都合で今回の散策であきらめたところも多数。豊橋市内にはほかにも戦争当時を物語る遺跡が点在しております。
また次に往訪するときまでの宿題として。

豊橋市美術博物館 > 豊橋の美術・歴史・文化財・戦争遺跡を知る > 郷土の戦争遺跡・資料