B-29のタイヤとプロペラ

平成30年6月・他

B-29のタイヤ

舎人公園の近くの畑の片隅に。
大きなゴムタイヤがありました。
なんでも「B-29のタイヤ」だそうで。

B-29のタイヤ
このゴムタイヤのB-29履歴は以下を参考。

1945年5月25-26日東京都足立区入谷町の水田
B29(機体番号44-69728、第314航空団29爆撃群所属)が墜落。
B29は南方から火を吹きながら飛来し、高度500mほどで爆発、墜落した。

「POW研究会」様サイト http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/tobu.html …

日暮里・舎人ライナーの「舎人駅」から歩いて10分ほど。

畑の片隅の「タイヤ」を見学して、そして駅に戻るというプチ散策。
緑が茂り過ぎていたので、こちらの観察は冬のほうが良いかも・・・〆

場所は、足立区入谷5丁目。


B-29のプロペラ(足立郷土博物館)

ちなみに、 畑の片隅に残されているタイヤ以外に、このときに墜落したB29プロペラ1枚が足立区郷土博物館に保管されている。

別の日に、足立区郷土博物館に脚を運んでみました。

B29プロペラ(部分)
昭和20(1945)年 入谷南中学校寄贈・当館蔵
 昭和20年5月25~26日空襲のとき撃墜されたB29の1機が入谷町(足立区入谷)に落ちました。墜落地点近くの地元の人が保存していた#44-69728号機のプロペラの一部です。

これは別のB29に関係するものですが。

B29無名戦士之墓(碑) 足立郷土博物館

B29無名戦士之墓(碑)
昭和21(1946)年 足立区加平・山野正雄氏寄贈
 昭和20年4月13日空襲時に墜落したB29(ポカホンタス号)の搭乗員を慰霊する墓の碑の部分で、北加平町に昭和21年12月25日に建立されました。現在。慰霊碑は道路となり撤去されました。

B29無名戦士の墓は北加平公園付近に建立されたという。

B29の勇士たち
 ここに眠り
平和の使徒として
 自由と正義を
真実に展開せし
 勇士たちよ
  安らかに憩へ
(以下建立者や後援者などの個人名は略)

後援者名には、作家の長谷川伸も名を連ねている。

昭和21年12月25日、まさにクリスマスにあたる日に、「平和の使徒」としてB29の搭乗員を慰霊する碑が建立されたというのが、戦後史を見る上で興味深い。


保木間高射砲陣地

足立区には「保木間高射砲陣地」があった。

足立郷土博物館には、保木間高射砲陣地に関するものも残されていた。
以下、足立郷土博物館の収蔵品を。

弾薬筒収容箱
昭和20(1945)年以前 当館蔵
保木間高射砲陣地で使用する砲弾を入れた箱です。

8cm高射砲段薬莢
昭和20(1945)年以前 当館蔵
高射砲弾の薬莢です。ここに火薬が詰められて弾を砲から撃ちました。保木間高射砲陣地の兵士が収集し戦後までながく保管していました。

M69小型焼夷弾
昭和20(1945)年 竹の塚・黒田倉蔵氏寄贈・当館蔵
火災を起こすための爆弾で、筒の中に油脂がはいっていました。地上700mで親弾から38発の小型焼夷弾がバラバラになり点火して落ちてきました。この小型焼夷弾は千住新橋付近で採集されました。

展示されていたM69小型焼夷弾は千住新橋付近での採集という。
大正13年に竣工した「千住新橋の親柱」も昭和53年に役目を終えて、足立郷土博物館に展示されている。
親柱の上部が焼けたように黒いのは、やはり当時の空襲の激しさを物語っているのかもしれず。

木銃
昭和20(1945)年以前 足立区保木間・吉岡秀典氏寄贈 当館蔵
保木間高射砲陣地の訓練用です。銃床部分に書かれている「AA」は高射砲部隊を表す記号です。

東部防空情報と敵襲図解
昭和20(1945)年 当館蔵
B29の進入経路を図示しています。

保木間高射砲の位置

このB-29が保木間高射砲陣地での墜落かどうかは定かではないけれども、こちらも参考までに。

国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
http://mapps.gsi.go.jp/ 
USA-M676-131 1947年11月28日、米軍撮影

画像の中心部、今でいう国道4号線の左右に陣地が展開されているのがわかる。


青砥高射砲陣地

足立区の隣の葛飾区には「青砥高射砲陣地」がありました。

平成30年6月 東京都葛飾区白鳥 京成線お花茶屋駅より15分ほど歩く。 かつて、このあたりには「青砥高射砲陣地」が展開されており、そ...

以上、足立区のB-29にまつわる戦跡でした。