鈴木貫太郎邸跡

現在の文京区千石3丁目。不忍通りの猫又坂に名残の石垣だけが残っている。
当時は丸山町と呼称された地域。
この地に、終戦時の総理大臣・鈴木貫太郎の私邸があった。

昭和20年8月15日、鈴木貫太郎は終戦反対派に襲撃されるも、からくも私邸から脱出。そのときに鈴木貫太郎私邸は焼き討ちされた。(宮城事件)

戦後、鈴木貫太郎は生まれ故郷の関宿に隠棲。関宿の邸宅跡地は鈴木貫太郎記念館となっている。
文京区の私邸は長男の鈴木一がこの地に居住していたが、孫の代にマンションへと姿を変えており、残された石垣が往時の姿を伝えていた。

もしかしたらマンションの後ろの樹木は、鈴木貫太郎邸の頃からの樹木かもしれない。

石垣だけは、鈴木貫太郎時代から変わらない佇まい。

開戦時の総理大臣・東条英機邸宅跡は何も残っていなかったが、終戦時の総理大臣鈴木貫太郎の邸宅跡は石垣が残っているだけ、史跡として救いがあった。

東京都世田谷区用賀 平成29年(2017)12月撮影 現在は立正佼成会の敷地となっている。その片隅に「東条英機邸跡」碑が建立されてい...