北千住界隈の戦跡としては、千住神社の防空壕が有名だけれども、それ以外にもいくつか見どころがあるので、以下に紹介をしてみる。
目次
B29無名戦士慰霊碑(慈眼寺)
慈眼寺境内には、空襲で撃墜されたB-29搭乗員戦死者の霊を供養する慰霊碑があった。慰霊碑建立にあたり作家の長谷川伸が相談役として名を列ねている。
無名戦士を弔ふ
昭和20年4月13日夜、第313航空団505爆撃群所属のB29(機体番号42−63517)が足立区花畑町・北加平町に墜落。搭乗員11名全員死亡。
戦後、墜落地にほど近い現在の北加平公園に「B29無名戦士之墓」が建立されるも、道路拡張により撤去。銘碑のみが足立区郷土博物館に保管されている。
慈眼寺の被災銀杏
B29無名戦士慰霊碑近くの銀杏は、戦災を生き抜いた銀杏。今でも焼け焦げた跡を残している。
慈眼寺
新義真言宗寺院。千龍山妙智院慈眼寺。
創建は1314年(正和3年)、行覚によって開山。
位置関係
国土地理院航空写真
ファイル:USA-M402-2-13
1947年08月11日、米軍撮影写真を一部加工。
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戦後2年経っていてもまだまだ残っている空襲の爪痕。
千住郵便局電話事務室
現存する数少ない山田守設計の建築物。山田が設計した建物では初期のもので「ドイツ表現主義」建造物。一枚一枚が手焼きの煉瓦によるスクラッチタイルは昭和初期の流行という。
1929年(昭和4年)5月に竣工。逓信省の技師である山田守によって設計された、いわゆる逓信建築の一つ。昭和20年の空襲でも本建物は残ることができた。
現在はNTT千住ビルとしてNTT東日本が管理。
源長寺の被災大欅
千住大橋と北千住の中間あたりに鎮座している源長寺の境内にも被災樹木があった。
大楠
文化年間この地帯に多く見られたが、昭和20年戦火の為最後の一本を焼失。その残りがこの切株である。
源長寺
浄土宗寺院。稲荷山勝林院源長寺。
1610年(慶長15年)、伊奈忠次の開基。
千住神社の防空壕
以前はとくに説明板もなくロープも張っていなかったが、最近に整備をされたようだ。
以前の写真はこちらから
平和の大切さを伝える
防空壕
昭和20年、空襲が激しくなると、東京中に防空壕が作られました。
簡易なものから、強固な地下壕までいろいろあり身体を守ってきました。
平成29年5月 千住神社歴史保存会
八紘一宇の国旗掲揚台(千住神社)
紀元二千六百年記念
昭和十五年十一月吉日建設
千住宮元町會
日露戦役紀念碑
乃木希典書。明治39年3月建。
不屈のイチョウ(千住神社)
生命の大切さを伝える
不屈のイチョウ
昭和20年4月10日、空襲により、神社に爆弾が投下され、蔵を残して神社は焼失しました。
このイチョウも燃えましたがコゲ跡を刻み復活して今も、生き続けます。
平成29年5月 千住神社歴史保存会
御神木(千住神社)
御神木
この銀杏は、先の戦争にて千住宮元町のほぼ全ての建物が焼失した中で、御祭神御守護のもと、焼け残った御神木であります。
寄り添う樹木は「夫婦銀杏」として親しまれており、縁結び、夫婦円満、家内安全、子宝安産の象徴となっております。
(足立区指定保存樹)
千住神社
創建は延長4年(926)という古社。
旧社格は郷社。千寿七福神の一神(恵比寿)。
昭和20年(1945)4月13日 空襲で社殿を焼失。
境内の御神木や石鳥居などは戦災を免れて残っている。
そして戦争の記憶を残す防空壕跡も残されている神社。
戦後の昭和33年(1958)9月に社殿が再建。