【新潟】陸軍船舶を偲びし史跡(宇品丸)

平成30年12月撮影・新潟市


宇品丸 (陸軍輸送船)

【軍用船宇品丸慰霊塔】(新潟市中央区)

初の日本陸軍保有軍用輸送船「宇品丸」 陸軍運輸部・船舶部隊の拠点が置かれた宇品の名を冠した船。 昭和20年8月10日「新潟空襲」 新潟港に襲来する米軍機に対し唯一応戦した宇品丸は米軍機1機を撃墜。宇品丸の船員3人、兵員16人が戦死している。

宇品丸慰霊塔建立の趣意書

大東亜戦争の終戦間近い昭和20年8月10日米軍の戦斗機(グラマン)数機により新潟港湾附近の空襲を受けた際、偶々同港山田町側に停泊中の軍用船宇品丸の兵士は敢然としてこれを迎撃奮戦した為に米軍機も攻撃目標を宇品丸に集中して弾丸のほとんど全部を撃ち尽して逃走した。

その為港湾施設及び市街は最小限度の被害で済んだが宇品丸の乗員はほとんど玉砕した。 昭和29年地元山田町外有志相図り新潟市の救神となった宇品丸勇士の英霊を慰めようと慰霊塔建立の議あり。

茲に当時の市長村田三郎氏の筆を得てささやか乍ら建立を実現し以来毎年町内会にて慰霊祭を執り行ない英霊に感謝の意を表している次第である。

嗚呼悲壮  

宇品の勇士花と散り

その名も数も無きあとの  

霊なぐさむと伏し拝む

歌碑  

 ああ悲壮 

世界平和を   

  夢に抱き  

 玉砕しけり 

宇品の勇士

歌碑裏

大東亜戦争の終戦間近い昭和20年8月10日新潟港湾付近の空襲を受けた際、山田町側に停泊中の軍用船宇品丸の勇士は国土防衛に敢然として迎撃奮戦し乗員はほとんど玉砕した

その慰霊50年忌に当たり、永遠の世界平和とミタマの安らかなるご冥福を祈念しここに之れを建立する

平成6年8月吉日(以下略

宇品丸

日本陸軍運輸部保有の輸送船。

米国にて1919年(大正8年)竣工、総トン数は2214トンの小型貨物船。

1929年、陸軍省は当時「宗安丸」として民間就航していた当船を購入し「宇品丸」と命名。 陸軍省運輸部の拠点にして陸軍船舶部門の中心が宇品であった。

宇品丸は陸軍所有の初の輸送船として、そして陸軍運輸部の顔として宇品を拠点に訓練に従事。

海軍とも協力し、模擬上陸船訓練なども実施され、また軍需輸送にも使用された。

1941年の大東亜戦争開戦後は主として瀬戸内海を拠点に輸送や訓練に活躍。

昭和20年、宇品丸は日本海での食糧輸送に就く。7月6日、新潟沖で米軍敷設の機雷に接触し浸水、沈没防止の為に信濃川河口で擱座。

8月10日、新潟市はF6F戦闘機16機の空襲を受ける。

宇品丸は高射砲・機銃あわせて6門で応戦し米軍機1機を撃墜するも被弾炎上。150人の乗員のうち船員3人兵員16人が戦死。

昭和21年5月、戦後も放置されていた宇品丸のサルベージが開始。浮揚に成功し舞鶴港に曳航され修理。

昭和25年のポツダム命令によって宇品丸は朝鮮郵船に払い下げられ、1958年には室町海運に譲渡、1966までは持ち船として船名が確認できていた。


宇品丸慰霊塔 「宇品丸」が座礁していた場所に近い山田町町内会をはじめとする有志らが、8月10日の交戦により死亡した兵士・船員の霊を慰めるため、昭和29(1954)年、に「軍用船宇品丸慰霊塔」を建立。慰霊祭は8月10日。 平成8(1996)年からは地元有志が興源寺で慰霊祭を続けている。

近くの入船みなとタワーからみた信濃川河口と日本海。 宇品丸は信濃川河口に擱座していた。 ちょうど対岸には「あざれあ」(新日本海フェリー)も停泊。

先日、新潟にを訪れる機会がありましたので、ちょっとだけ足を伸ばして「宇品丸慰霊塔」に参拝をしてきておりました…