池上本門寺の戦争慰霊碑(大田区)

池上本門寺にて、戦争に関連する慰霊碑などを巡ってみる。

国難に殉じられた皆様に感謝と哀悼を。合掌。


日本看護婦会慰霊塔

由緒等はなく建立経緯は不詳。「日本看護婦会」という団体も不詳。
戦前にあった「日本帝国看護婦協会」は、戦後は「日本看護協会」となっている。
また日清日露戦争時には、戦時下の救護をボランティアで行っていた上流婦人階級による「日本赤十字篤志看護婦人会」という団体もあった。

日本赤十字によると日清戦争から第二次世界大戦(大東亜戦争)において戦時救護にて殉職した殉職救護員(日本赤十字社救護看護婦、いわゆる従軍看護婦)は1317名に及ぶという。

港区芝大門の日本赤十字本社前にも、看護婦慰霊碑があるので参考まで。

殉職救護員慰霊碑と看護婦立像(日本赤十字社)

令和元年9月撮影 港区芝大門の日本赤十字社本社前庭に。 慰霊碑には明治27年の日清戦争から第二次世界大戦において戦時救護に服し...

日蓮大聖人説法像
星亨銅像跡

もともとこの場所には「星亨」の銅像があった。戦時下の金属供出で銅像は撤去され、台座のみが残されていたが、昭和58年に総アルミの日蓮大聖人像が建立された。

日蓮大聖人説法像
 星亨銅像跡

 この像は宗祖第七百遠忌記念として昭和58年富山県新湊市の黒谷美術株式会社より奉納されたんもので斯界の権威北村西望先生の作品です。(像の材質はアルミ、高さ3.4米、重量1瓲)
 もともとここには明治の政治家星亨先生の銅像がありましたが、今般星家の御協力により台座を奉納頂きこの像を建立しました。
 昭和58年10月吉日
 大本山 池上本門寺

星亨(ほしとおる)
嘉永3年4月8日(1850年5月19日) – 明治34年(1901年)6月21日)
イギリスに留学し日本人初の法廷弁護士資格を取得。日本での弁護士第1号。
明治時代の政治家。逓信大臣や衆議院議長などを勤める。東京市議会議長職にあった明治34年に暗殺された。享年51歳。墓所は池上本門寺。

星亨銅像は立像として大正14年(1925)に建立という。作者は本山白雲。戦時下に金属供出され、立派な台座が残り銅像は今はない。


大田区戦歿者慰霊塔

本堂向かって右手に鎮座。

慰霊

慰霊塔建設誌
碑文
 日華事変太平洋戦争における戦歿軍人軍属の英霊と戦災で犠牲になられた人々の霊魂を弔慰し 恒久の平和を祈念するため慰霊堂を建設すべく大田区自治会連合会大田区郷友会大田区遺族会及有志は昭和35年7月大田区戦歿者慰霊塔建設奉賛会を結成した
 区民の絶大なる協力と本門寺の好意を得て翌年9月23日この地に工を起し本日除幕の式を挙げるにいたった 塔内には日清日露の両役をもふくめた区内5千有余に及ぶ犠牲者名を18地区別の芳名録に謹記して奉安した
 われわれはこの慰霊塔を仰いで今後益々複雑なる国際関係の動きに処する決意を固め、地区の発展と世界平和に寄与することを英霊に誓いあわせてその加護を願うものである
  昭和37年4月8日
   大田区戦歿者慰霊塔建設奉賛会

日露戦役忠魂之碑

池上村軍人家族保護會


五重塔のむかって左側の道路に面した場所に鎮座

満洲国軍戦没者之碑

満州国での戦没者を祀る慰霊碑。

慰霊
満洲国軍戦没者之碑

満洲の大地に沈む夕陽を表しているという。

蘭花の碑 蘭星会
赤い夕陽の満洲に活躍した日系軍官此処に眠る

蘭花は満洲国の国花。
蘭花御紋徽は満洲国の国章は1932年(満洲国・大同元年/日本での昭和7年)に制定された。

蘭花碑誌「天地内有了新満州
青年の希望と夢に充ちた新国家は民族間等の歴史に幕を下し新しい時代を開くべく民族の融和を根本理念とした道義国家として創建された。
此の時にあたって選ばれたもの感激をそのままに何のためらいもなく日系軍官として国軍に投じた若人達は国軍の中核となって辺境の守護国内の治安維持に又国兵の練成を通じての建国理念の透徹に若い情熱の限りを傾け尽くした。
建国からその崩壊に至る十四歳の間に約六千の同志は日系軍官軍属文官として勤務奉公しつつ一千余名の同志はその使命に倒れて或は赤陽の荒野にはた又凍土の辺地に長限を留めるに至った。
以来幾星霜を経て今聖僧ゆかりの地本門寺の浄域に顕彰慰霊の碑を建て同志の英魂を祀り、あわせて民族協和の大理想に結ばれた国軍戦死没諸友の霊をも迎えその供養を行う。
ここに永遠の平和への悲願をこめて 
同志よ 友よ 安らかに眠られんことを祈る
  昭和51年8月15日
蘭星会

蘭花御紋徽


池上本門寺

日蓮宗大本山。
日蓮入滅の霊場。日蓮宗の十四霊蹟寺院。七大本山。
昭和20年4月の空襲によって五重塔、総門、経蔵、宝塔を除く堂宇を焼失。
現在の大堂は昭和39年再建。

五重塔は1608年(慶長13年)に建立。空襲による焼失を免れた建物。


池上妙見堂

日蓮宗池上三院家のひとつ、朗慶山照栄院妙見堂。

池上妙見堂の境内にBC級戦争犯罪で処刑された殉難者の慰霊碑がある。

シンガポールのチャンギーで行われたBC級戦争犯罪人とされた日本の軍人軍属の裁判(シンガポール裁判)。
チャンギー刑務所にはBC級戦犯が2000名以上集められ、146名の被告が極刑を宣告され処刑されたという。
教誨師の田中日淳上人(照栄院前住職・池上本門寺第81世貫首)は教誨師として、その処刑に立ち会い、帰国後に妙見堂の境内に慰霊碑を建立。(建立は昭和58年)毎年4月第2日曜日には慰霊祭が祭行されている。

BC級戦犯

BC級戦犯は、連合国によって布告された国際軍事裁判所条例及び極東国際軍事裁判条例における区分総称。

戦争犯罪類型A項「平和に対する罪」 = A級戦犯
戦争犯罪類型B項「通例の戦争犯罪」
戦争犯罪類型C項「人道に対する罪」(日本には適用なし)

日本のBC級戦犯は、GHQにより世界49カ所の軍事法廷で裁かれた。
被告人は約5700人。そのうち約1000人が死刑判決を受けたというが、中国及びソ連での裁判の実態は不明。

靖國神社では、彼らを「昭和受難者」として合祀。

シンガポール チャンギー殉難者慰霊碑

献文
第二次世界大戦後、シンガポール地区においては、146名の旧軍人軍属が連合軍の軍事裁判により戦争犯罪者として処刑されたが、その大部分は誤った戦争の犠牲者としてこのような悲運に哭かねばならなかった人々であった。しかもこの方々は祖国から見放されたまま、不自然な「死」を前にして苦悩に苦悩を重ね、最後には「己の死が祖国再建の人柱となるのであれば、又世界人類の平和にもつながればよし」と絶叫して散華したのである
これら殉難者の往時の心情を思うとき、万斛の涙また新たなるものがあり、かかる悲惨時が決して再びあってはならないと誓うのである。今ここ池上の寂かなる杜をこの方々の安らかなる眠りの場と定め碑を建て、以って所霊の冥福を祈る次第である
 昭和58年4月11日
 シンガポール チャンギー殉難者慰霊碑建立協賛会

碑誌
 元英領シンガポールチャンギ―獄戦犯殉難者のうち数多の人々が刑死されるまでの間、川崎市明長寺故関口亮共師、池上照栄院田中本隆師による獄内挺身教化に浴し従容として死に就かれた
 又殉難者が此の地に安息の場を得ることができたのは、往時の田中本隆師即ち現大本山本門寺第八十一世田中淳上人の廣大な御仁慈によるものである。
 第七回慰霊法要に当り両上人の御高徳を永えに称える為茲に追誌すること如斯
  平成元年4月

妙見堂で毎年4月の第2日曜日に営まれている、チャンギー殉難者慰霊祭を紹介しています。

池上本門寺とは関係ないけれども。
池上駅の北側の池上本門寺に対して、場所は変わって池上駅の南へ。曹禅寺へ。

池上平和観音

池上平和観音
昭和二十年四月爆撃により五十余名の生命を失つたこの地に大悲菩薩を安置して殉難者の冥福を祈り念すると共に町内の平安と世界の平和を祈り願うものなり
 昭和四十三年十月十日
 壹世實道大憲