「45cm四四式二号魚雷」東雲寺に残る国産第1号魚雷(深谷)

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埼玉県深谷市北部。利根川を渡る新上武大橋の近くにある寺院「東雲寺」に魚雷があるというので足を運んでみた。

実は、以前に訪問をしていた、神奈川県小田原市の神社「神山神社」で魚雷を拝見し、その際に色々と調べていたら深谷市にもあることを知り、これは行かねばと思った次第でした。

小田原駅から北西に約2キロの地に鎮座している神社に「魚雷」があると聞き、足を運んでみた。なんでも地元では「久野の爆弾神社」といわれているら...

深谷駅近くで、レンタサイクルを利用し、利根川近くまで北上。
この界隈は、渋沢栄一関連の史跡も豊富。そして利根川を渡れば中島知久平の史跡もある。
自転車を借りて、かなり濃厚な散策ができる地域でもあり。


45cm四四式二号魚雷
44式2号魚雷(明治44年製)

日清・日露戦争時の帝国海軍は輸入魚雷に頼っていた。
日露戦争後、明治44年(1911)に国産化にはじめて成功した魚雷が「45cm四四式魚雷」。
直径450ミリ、全長5,510ミリ

この四四式魚雷が帝国海軍の魚雷技術発展の礎となり、世界で唯一実用化に成功した酸素魚雷を生み出すこととなる。

小田原の神山神社で拝見したのと、ほぼほぼ同じな魚雷。この深谷市の東雲寺に残る魚雷のほうが、多少ではあるが状態がよさそう。弾頭の部分のみが、ちょと違うようだ。

魚雷
 これは、44式2号魚雷(明治44年製)と云い、第1次世界大戦で使用されたと言われる。構造は下図のとおりで、軍艦に魚雷発射管があり、空気圧力200kgで海中に発射すると、自動的にエンジンがかかり、敵艦船に向かって時速50km~60kmで進行する。重量1,000kg位で、敵艦船に命中すると爆薬が炸裂する兵器である。呉海軍工廠で製造国産第1号と思われ「下瀬」の刻印があり国内唯一のものである。

 昭和8年新会出身の海軍軍人の好意で新会村青年団に寄贈され新会国民学校校庭の忠魂碑前に青年団が奉納した。
 昭和25年現在地に移設した。

  平成11年10月調
  21世禅峰宗雄代

 調査協力者
  内田 伝太郎(本郷)
  川崎 春美(全国回天会)
  村岡 武(新戒)

頭部に刻印が残っているのが特徴。

下瀬 
449

「下瀬」とは、下瀬火薬のことだろうか。
日本海軍が日露戦争で勝利をおさめた要因の一つに、下瀬火薬(下瀬爆薬)」があった。

海軍下瀬火薬製造所跡地散策(北区西ヶ原)

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頭部の先端、信管があった部分にも、なにやら刻印がある。

45×5/100×150
呉167

「呉」と明確に刻まれている。呉海軍工廠で製造された証。

100の左下に「桜印」もある

スクリューもきれいに残っている。

かなり貴重な一品。よくぞ残していただいたものです。
これからも伝承が続いてくれれば、です。


英霊塔

魚雷と並んで英霊塔がある。
日露戦争で鹵獲されたカノン砲が払い下げられたもの。
帝国在郷軍人会新会村分会から大正9年に陸軍に「十六珊克虜伯砲砲身」が下附願いが出され、翌年東京陸軍兵器支廠が忠魂碑用に払い下げとなっている。

忠霊塔

右柱 西比利亜(シベリア)
左柱 凱旋記念

大正7年(1918)から大正11年(1922)にかけて出兵された「シベリア出兵」に関係する記念碑。

大正10年1月建設

大正十年一月

征清従軍記念碑

征清従軍記念碑

元帥公爵大山巌書

征露記念碑

征露記念碑

元帥公爵大山巌書


東雲寺

的龍山東雲禅寺

東雲寺は、鎌倉期の開基とされる古寺。
東雲寺は男寺とされ、隣の大林寺が女寺とされている。

場所

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