横浜駅から歩いて約10分ほどの場所に、海軍兵学校ゆかりの門標があった。
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海軍兵学校の門標
海軍兵学校の門標
明治初年、勝海舟の書。
昭和20年、海軍兵学校閉校に際して撤去されたが、後年、鋳造家 柏木宏之氏(同校第74期)が原型通りに復元、同期生の田辺弥寿男氏の手を経て、柳川ビルに寄贈された。
柳川ビルの竣工にあたり、先輩のご厚意と、建設に協力された、わが第77期クラスの友情を記念してここに設置する。
昭和62年10月
海軍兵学校第77期
柳川荘一郎
海軍兵学校第77期
「柳川ビルクリニック」の院長が柳川荘一郎氏。海軍兵学校第77期。
海軍兵学校第77期生徒は、最後の海兵生徒・最後の江田島健児、であった。
(77期の次、海軍兵学校第78期は予科生徒であった)
そして、「柳川ビルクリニック」のサイトには、「錨」がシンボルーマークとして、掲げられていた。
場所
神奈川県横浜市西区南幸2-21-5