平成29年10月撮影
京急線の横須賀中央駅から高台の方に向かう。
「猿海山龍本寺」(日蓮宗)
この寺院に、横空ゆかりの慰霊碑がある。
目次
横須賀海軍航空隊 殉職将士追悼碑
海軍大将 永野修身 書
昭和九年七月五日建立
昭和9年7月5日に相陽時事新聞社が発起となり建立。
横須賀市長 小泉又次郎 も後援に名を連ねる。(小泉純一郎の祖父)
揮毫した 永野修身 は、当時は横須賀鎮守府司令長官。
碑面裏には「遺芳千秋」(後世にまで残る名誉や業績の意)
大正4年~15年に殉じられた横須賀海軍飛行将士51柱を祀る。
最初に名を刻まれている 足立東三郎(海軍大尉)、武部鷹男(海軍大尉)、柳瀬久之丞(海軍三等水兵)の三名は 横須賀海軍工廠で製作されたファルマン水上機の試験飛行中の大正4年3月6日に墜落殉職している。これは、海軍搭乗員の日本国内における最初の殉職者であった。
横須賀海軍航空隊に関してはこちらも。
横須賀海軍航空隊殉職者追悼碑の隣にある碑
軍艦千島 海軍機関師 五士の墓碑
伊藤雋吉海軍中将 撰文
明治25年11月30日。
仏国から日本に回航中の軍艦千島(通報艦)が愛媛沖で英国商船ラベンナ号と衝突沈没し74名が犠牲となり殉職機関士5名を合祀した墓碑。
千島艦事件。
明治28年9月建立。
余談ながら、揮毫した伊藤雋吉は、創設期の海軍きっての能書家。軍艦の艦尾の艦名表示(ひらがな)に使う、いろは48文字を揮毫し、以後の帝国海軍及び海上自衛隊を通じて、伊藤が揮毫した文字が使用され続けているという。
千島艦事件で沈没した水雷砲艦「千島」は、青山霊園「畝傍の森」に、巡洋艦「畝傍」と並んで慰霊碑があります。
千島の慰霊碑は砲身と砲弾。
ともに建造後間もなく消息を絶ったり沈没したりした悲運艦。
猿海山龍本寺(日蓮宗)
〆