神奈川縣護國神社跡(横浜市慰霊塔)

平成26年(2014)参拝/令和元年11月再訪 

横浜市慰霊塔 納骨堂

全国47都道府県で唯一「護國神社」が無い県が神奈川県。
(内務大臣指定護國神社として。東京は靖國神社で包括)

現在の三ツ沢総合グランド (神奈川県横浜市神奈川区三ツ沢西町3-1)
この地に「神奈川縣護國神社」(神奈川県護国神社・神奈川県護國神社)が建つはずであった。


神奈川縣護國神社
昭和14年末に神社創建に着手。
昭和15年11月に鎮座地が確定。
昭和16年11月に鍬入式が執行。
昭和17年7月27日、内務大臣より「神奈川縣護國神社」の創立が許可。
昭和17年12月23日、起工式が執行。
昭和18年12月25日、棟上式が執行。
当初の竣工は昭和19年10月を予定していたが、戦争により工事遅延。
完成目前の昭和20年5月29日横浜大空襲によって社殿焼失。

そして終戦後、 神奈川縣護國神社は建立されることはなかった。
昭和28年に跡地に横浜市によって「慰霊塔」が建立。


昭和19年11月陸軍撮影の航空写真

空襲前の航空写真。
参道の様子と建造途中の社殿の雰囲気がわかる。

「神奈川縣護國神社」 は「本殿」「祝詞殿」「幣殿」「拝殿」「 翼舎」「渡廊」「祭器庫」「透堀」「手水舎」「鳥居」「石玉垣」「狛犬」などで構成予定だった。

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1944年(昭19)11月14日‐陸軍撮影写真を加工

昭和21年2月米軍撮影の航空写真

昭和20年5月29日横浜大空襲後で、焼失した「神奈川縣護國神社跡」 の姿を確認できる。昭和19年の陸軍写真では御社殿に立体感があったが、空襲で御社殿を焼失し、昭和21年の写真では御社殿部分は焼失し立体感がないことがわかる。

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1946年(昭21)02月28日‐米軍撮影の写真を加工
USA-M58-A-6-207
1946年(昭21)02月28日‐米軍撮影の写真を加工

現在の航空写真

三ツ沢公園


横浜市慰霊塔

昭和28年3月建立。
神奈川県が昭和14年に計画し、当地に昭和20年の竣工が予定されていた神奈川縣護國神社は、昭和20年5月29日の横浜大空襲で炎上焼失。
再びその威容を見ることが出来なくなった。

その名残の地には、横浜市によって慰霊塔が建立されている。
慰霊塔の前の広場は駐車場と化していた。

昭和二十年の文字が浮き出た慰霊塔
以前の写真よりも白いので塗り直したようです
平成26年(2014) 撮影
平成26年(2014) 撮影

納骨堂

横浜市慰霊塔の後方の建屋は納骨堂。

平和記念塔

神奈川縣護國神社参道跡

今は駐車場となっている広場に向けて伸びる歩道が、予定されていた参道跡地。

慰霊塔ご案内

慰霊塔ご案内
 この慰霊塔は、西南戦争以来、第二次世界大戦 に至る戦争犠牲者二万余柱の御霊を永年安置するための慰霊塔であります。
 慰霊塔は、二基の塔と、安置堂その他からなり昭和二十八年三月、一〇〇〇万円の経費にて建設されましたが、このうち七〇〇万円は、市民からの募金によったものであります。
 塔は門を象徴しており、向かって左の塔は、高さ十八米で上部を欠いてあり、下部に「昭和二十年」の五文字を浮き出してあります。 これは、今次大戦ではらった大きな犠牲と破壊を表したものであります。
 また、向かって右の塔は高さ二十五米で新生日本が雄々しく、将来にむかって発展する姿を表したものであります。
  横浜市

恒久平和を願って

恒久平和を願って
 戦後50周年を迎えて、更なる平和への願いを込めて慰霊塔を改修いたしました。
 この慰霊塔は、西南戦争から第二次世界大戦までの戦争犠牲者の慰霊を安置するため、昭和28年3月に建設したもので、左の塔は先の大戦で払った大きな犠牲と破壊を表し、右の塔は新生日本が将来に向かって発展する姿を表しています。
 市民の皆様と共に諸霊のご冥福を心からお祈りし、戦争の悲惨さを忘れることなく、恒久の平和を念じたいと思います。
 横浜市は、21世紀に向かって、世界に開かれた国際都市づくりを進めていますが、ピースメッセンジャー都市として、今後とも積極的に国際交流活動を展開し、相互理解を深め、世界の平和と発展に貢献していきたいと思います。
  平成7年11月1日
     横浜市長

わが町 かながわ 50選

横浜市戦没者慰霊塔
 昭和20年5月29日の横浜大空襲でなくなった、多くの犠牲者の冥福と平和への祈りを込めて、昭和28年に建立されました。
 広い広場から慰霊塔を見つめていると、心が静まります。

駐車場となってしまっている広場に若干の空虚さを感じつつも。

護國神社として機能出来なかった、この慰霊の空間。
どことなく虚しく、そして尊厳がなく。
もやもやしながらも、根底の気持ちは変わらずに
静かに慰霊鎮魂と感謝のこうべをたれる…


令和元年11月17日の夕方。
慰霊塔を撮影をしていたら、老夫婦が私に声をかけてきました。
お爺さん「ここは昔は畑だったんだよ、そこに立派なお社が出来てね、でもね、昭和20年5月29日の空襲で燃えてしまって、わたしはそのとき10歳だったよ、ほんとりっぱなお社だった・・・」
わたし「えぇ、神奈川県護国神社の跡・・・」
お爺さん「知っているんだ、若いのに、この場所がなんだったか、ここを知っていてくれて嬉しいねえ」
お爺さんとしばし歓談

ありがとうございます。


神奈川県戦没者慰霊堂

神奈川縣護國神社の跡地は「横浜市の慰霊塔」
ここは、県ではなく市の施設となっている。
神奈川県の慰霊施設は当地ではなく、別の場所にある。

神奈川県戦没者慰霊堂

神奈川県戦没者慰霊堂の御案内です。

実は訪れたのですが、臨時閉苑でした・・・再訪しなくては。


参考文献
 神奈川県忠魂碑等建立調査集 靖國神社社務所発行 平成8年
 神奈川新聞 昭和18年12月5日掲載記事