日本の高さの出発点「霊岸島水位観測所」と一等水準点「交無号」

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日本の国土の基点となっている場所がある。今回は「高さ」のスタート地点を散策。

国会議事堂前庭にある「日本水準原点」の標高は、霊岸島で水位を観測し定められた水準点「交無号」からの測量で決定している。

日本水準原点

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油壷験潮場

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一等水準点「交無号」

花壇にかこまれて「水準点」があった。
ここが日本の「高さ」の出発点。

大切にしましょう
水準点
国土地理院関東地方測量部

一等水準点「交無号」
 標高3.24m

 水準点とは、精密に測られた高さの基準点です。全国の主要道路に約2キロメートルおきに設置されており、各種測量の基準や地殻変動の検出に利用されています。
 日本の高さの基準である東京湾平均海面(標高0m)は、明治6年から12年の間に霊岸島で行われた潮位観測によって決定されました。この結果は、潮位観測に用いられた量水標近傍の「内務省地理局水準標石(霊岸島旧点)」に取り付けられましたが、明治24年に新しい基点として、この「霊岸島新点・交無号」が設置されました。同年、国会議事堂前の地に建設された日本水準原点の標高は、この水準点からの測量で決定されています。
 水準点番号「交無号」の由来は、水準路線が交差する点であることを示す「交」と、「0」を意味する「無号」を合わせたものです。
 この水準点は、まさに日本の高さの出発点として歴史あるものです。
 現在の水準点は、平成18年にこの地に移転されました。標石は昭和5年の移転時に作られたもので、小豆島産の花崗岩が用いられています。
 平成21年2月
  国土地理院関東地方測量部

すぐ近くに水位観測所がある。


霊岸島水位観測所

日本水準原点と霊岸島水位観測所
 国土交通省関東地方整備局
 荒川下流河川事務所
1.水準原点とは
 現在日本の水準原点は、測量法施行令第2条により東京都千代田区永田町1丁目1番地内にある日本水準点で、その高さは東京湾平均海面上24.4140mと定められています。
(東京湾平均海面をT.P.0mとして算定しています。)
この水準原点の高さに基づいて、例えば、山の高さや土地の高さが「標高〇〇m」というように求められているのです。

2.日本近代測量と霊岸島水位観測所について
 日本の近代測量は明治初期に始まりました。当時の測量方法は所要河川の河口部に水位を測るための「量水標」を設け測量を行うときには近くの「量水標」の平均海面データを用いていました。「量水標」の主なものは、明治5年に利根川河口の「銚子量水標」が日本初で、翌明治6年にここ霊岸島に、明治7年に江戸川と淀川の河口にと、全国の主要河川でそれぞれ設置されました。
 霊岸島水位観測所の零位は、A.P.0m(エーピーゼロ、A.P.はArakawa Peilの略、Peliはオランダ語で「基準」あるいは「標準」の意)と呼ばれるようになりました。
 その後、測量技術などの進歩に伴い、平均海面のデータの全国統一が考えられ、そのときに選ばれたのがここ霊岸島水位観測所だったのです。

3.東京湾平均海面と日本水準原点
 平均海面を算出するために霊岸島水位観測所で明治6年6月から明治12年12月の間、4ヶ月間の欠測を除き6年3ヶ月の毎日の満潮位と干潮位を測定しその平均値を求め、さらにその平均値を算出したのです。このときの値が霊岸島水位標の読み値で1.1344mでした。これを東京湾平均海面すなわちT.P.0mとし全国の高さの基準として定めたのです。そしてその後の明治24年5月に東京都千代田区永田町に「日本水準原点」が設置され、このとき霊岸島水位観測所から原点までの水準測量を行い、日本水準原点の高さ24.5000mを基準点としたのです。しかしこの値は、大正12年に起きた関東大震災の影響により昭和3年に24.4140mに改定され現在に至っています。

4.現在の霊岸島水位観測所
 日本の水準原点を生んだ令官島水位観測所も、その後の東京湾の埋め立てや隅田川の河川水の影響があり、水準原点の検証をするための観測所としては、理想的な位置とは言えなくなり、現在では神奈川県三浦半島油壺の観測所にその機能が移されています。
 現在の霊岸島水位観測所は荒川水系の工事実施基本計画や改修計画の策定及び改訂のための基礎データの観測を続けていますが、隅田川のテラス護岸の施行に伴い平成6年5月に元の位置から約36m下流に観測所を移設しました。
 元の観測所の位置には、その歴史的経緯を永く後世に伝えるため、観測柱を正面にシンボル柱として設置しました。また新しい観測所の3角形のフレームは、土木や建築の設計図などに高さを表す記号として用いられる▽をイメージし、その下端部はA.P.0mを指し、その1辺の長さは観測所位置のある東経139°47’にちなみ13.947mとしています。
 観測室については、斜方十二面体という形で立方体それぞれの面に後輩45°の四角錐を付加したような形をしていて、川に沿って視点を移動していくと正方形、正六角形、八角形と変化して見えるものです。

霊岸島検潮所・量水標跡

護岸工事で観測地点が移転したため、もともとの観測所があった場所には、観測柱がモニュメントして設置されている。

亀島川水門。水門の向こうには、南高橋がある。

昭和7年(1932)に架橋された「南高橋」。もともとは明治37年(1904)に架橋された「両国橋」中央部を移築改良したもの。(「旧両国橋」...

防潮堤の耐震補強工事中でした。

江戸港発祥跡

近くには江戸港発祥跡がありました。

江戸港発祥跡
慶長年間江戸幕府がこの地に江戸湊を築港してより、水運の中心地として江戸の経済を支えていた。昭和11年まで、伊豆七島など諸国への航路の出発点として、にぎわった。
  東京京橋ライオンズクラブ
  結成35周年記念
  平成11年1月吉日建立

離島への汽船発着所として
東京湾汽船は明治22年、この地に設立された
町には6軒の旅館があ、島の人々で賑わった
 旧町名越前堀は越前松平家の周囲に堀があったことに由来する
 地名将監は幕府奉行職御船手(海兵団)向井将監の屋敷跡に由来する
 霊岸島検潮舎は、海抜の原点で、この大川のテラス内にある
     越前堀将監21号住民建立


場所

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※撮影は2022年5月

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