沖縄戦で失われたケービン鉄道「旧沖縄県営鉄道那覇駅跡の転車台遺構」(沖縄戦跡慰霊巡拝14)

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沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その14」となります。

その13は、下記にて。

沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その13」となります。 その12は、下記にて。 2022年10月記録です みたま安ら...

2022年10月記録です


泊まっていたホテルの最寄駅が「旭橋駅」であったことから、旧那覇駅にも程近く、せっかくなので足を運んでみました。


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旧沖縄県営鉄道那覇駅跡

軽便鉄道の起点となっていた那覇駅だけにあったとされる「転車台」の遺構が移設保存されている。
那覇駅遺構は沖縄戦や戦後のバスターミナル建設などによって残っていないと考えられていた。
ところが、2015年に那覇バスターミナル再開発工事で「転車台」の遺構が発見された。

那覇駅跡
 沖縄における軽便鉄道各路線の起点となった那覇駅跡。
 日本の鉄道は、近代化への象徴として、明治新政府により推進され、1872年に初めて新橋〜横浜間が開通した。沖縄県でも、本土から来た寄留商人を中心に、鉄道事業の計画が何度かなされたが、資金調達等で目途が付かず、計画中止が相次いだ。
 通常の線路幅である1067mmに対し、それ未満の線路幅の鉄道設置を認め、建設費や維持費の抑制を図った「軽便鉄道法」(1910年)の成立を受け沖縄県では、1913年(大正2)に線路幅762mmの計便鉄道の敷設を決定した。
 1914年(大正3)12月1日に、那覇と与那原を結ぶ与那原線(全長約9.8km)の操業が開始され、その後、1922年(大正11)に那覇〜嘉手納線(約23.6km)、1923年(大正12)に那覇〜糸満線(約18.3km)が開業した。那覇港への引き込み線(約0.7km)も敷かれ、貨物専用として使用された。沖縄の軽便鉄道は「アギフィーグルマ」(陸火車:陸蒸気船)とも呼ばれたが、人々からは「ケービン」の愛称で親しまれた。
 那覇駅は、与那原線開業時に整備され、路線増加とともに拡充された。赤瓦葺きの木造平屋建ての駅舎には売店もあり、林s熱して鉄道管理所や交番が置かれた。構内には転車台・機関庫・石炭置き場、北端には職員住宅もあった。
 車両は、蒸気機関車12両、ガソリン動車6両、客車52両、貨車51両あったといい、1930年(昭和5)に初めて導入されたガソリン動車では、快速運転も行われ、乗客から人気があったという。那覇からはそれぞれ30分(与那原)、60分(嘉手納)、50分(糸満)程で結ばれていた。普段は3両編成であったが、キビの収穫時期や盆・正月、波上祭の時期には、5〜8両編成になったという。沿線地域の子どもたちは、「シッタンガラガラ」と音を立てて走る「ケービン」の姿や、「アフィー・アフィー」と聞こえる汽笛を真似て、遊んだという。
 那覇駅は、1944年(昭和19)10月10日の空襲により甚大な被害を受けたが、1ヶ月後には、運行が再開され、沖縄守備隊の兵站輸送や、住民の本島北部への疎開に利用された。しかし、翌年の3月下旬には、米軍の攻撃により破壊され、運休となった。
 終戦後の1947年(昭和22)には鉄道復興の計画もあったが、幹線道路の整備が優先された。さらに1950年(昭和25)の朝鮮戦争勃発による鋼材不足のため、スクラップ(くず鉄)ブームが起こり、車両やレールの残骸もスクラップとなった。
 那覇駅跡周辺は、1953(昭和28)から区画整理が始められ、1959年(昭和34)には那覇バスターミナルとなった。かつての那覇駅構内の北端に位置した仲島の大石は、ターミナル内の出入り口付近に二個慣れている。

戦前の那覇駅構内図

那覇駅構内図
転車台の位置がわかる。

沖縄県営鉄道及びバス路線図

沖縄県営鉄道那覇駅跡出土の転車台遺構
 沖縄県営鉄道那覇駅は、沖縄戦による破壊や戦後のバスターミナル建設等によって当時の施設は全く残っていないと思われていました。ところが、再開発中に、当時の駅構内にあった施設の遺構が発見されました。発掘調査の結果、遺構は沖縄では唯一那覇駅だけに設置されていたと言われる、機関車を方向転換させるための「転車台」と呼ばれる施設であることがわかりました。
 「転車台」遺構はコンクリートの基礎とその上にレンガを積み上げたドーナツの形をした構造で、かなり破壊されていましたが、全体の形がほぼわかる状態で残っていました。大きさは直径約6.8m、高さは最も残りの良い状態で最大約1.1mあります。
 基礎部分の地中には、直径約18cm前後の木杭が多数埋め込まれていました。これは、那覇駅一帯が埋め立て地で地盤が軟弱なため、「転車台」全体の沈下を防ぐための工事であったと考えられます。発見された「転車台」遺構は、近代沖縄の交通の歴史、建築・土木技術など、様々なことを知ることができる大変貴重な文化財です。

戦前の那覇駅構内(左側に見える円形が転車台)

機関車と転車台のイメージ模型(縮尺:6分の1)


沖縄都市モノレール線(ゆいレール)

沖縄県営鉄道「ケービン」が昭和20年3月に運行を停止し、沖縄戦で鉄路が破壊されて以来、沖縄には鉄道がなかった。
戦後、米軍主導で道路整備が優先されるも、経済活動が活発化してくると慢性的な道路交通の渋滞が発生していた。
そうした中、「沖縄県内に存在する唯一の鉄軌道路線・モノレール」として、2003年に「沖縄都市モノレール線・ゆいレール」が誕生した。


付記:沖縄の海保(第十一管区海上保安本部)

海上保安庁のなかで、最大規模の管区を誇る。

沖縄の海をクルージングするタイミングがあって、そこで海保の船をいくつかみたので、記録程度に、メモしておきます。

PLH06「おきなわ」

PLH09「りゅうきゅう」

PL03くだか

双胴船でのクルージング、でした。


付記:沖縄で飲食したものとか

なんとなく記録的に。これで締めなので。

ブルーシール

沖縄限定の紅茶花伝

オリオンビール

ソーキソバ

パワーギア

オリオンビール

ステーキハウス88(締めのステーキ)

ブルーシール

シークワーサー

さんぴん花茶
べにいもたると

ブルーシール(塩ちんすこう)

なんかスマホにのこっていた飲食系の写真がだいぶ偏っていることがわかりました。
もちろん、他にもいろいろ飲み食いしていたんですけど、写真に残っていたのが。。。


撮影:2022年10月


沖縄戦跡慰霊巡拝

本編は、これで締めです。1日半の記録、でした。
1日目(全日) 沖縄本島南部周辺
2日目(半日) 那覇中心部周辺
また、行きたいですね。
今回のまとめで、かなり沖縄戦に関する知識が増えました。
次回もより深い巡拝ができるかと思います。まとめればまとめるほど、行かなばならない場所が増えてしまい。

みたまやすらかなれ、と深く拝し、合掌し。

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