南西諸島海軍航空隊「巌部隊」本部陣地壕「寿山海軍壕」(沖縄戦跡慰霊巡拝11)

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沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その11」となります。

その10は、下記にて。

沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その10」となります。 その9は、下記にて。 2022年10月記録です みたま安らか...

2022年10月記録です

みたま安らかに


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カテーラムイ(寿山)旧海軍壕

小緑駅の東側にある田原公園に。
海軍小禄飛行場(現在の那覇空港)を防衛するための海軍航空隊「巌部隊」(南西諸島海軍航空隊)の本部陣地が置かれた壕。

カテーラムイ(寿山)旧海軍壕
 海軍航空隊巌部隊の本部陣地壕。日本軍は、この地を寿山と称した。小緑飛行場防衛のため、小緑・豊見城一帯では、海軍少将大田実司令官の指揮下に連合陸戦部隊が編成され、多くの陣地壕が掘られた。その一つが本壕で、1944年8月から12月にかけて住民も動員して突貫工事で完成した。総延長は約350mで、その中に司令室・兵員室・暗号室などが設けられた。
 1945年6月4日、米軍は飛行場のある字鏡水に上陸、戦闘が始まった。6月7日、米軍はここカテーラムイ一帯に激しい攻撃を加え、数日で制圧した。壕内には最大1,000人余の将兵・住民がいた。南部への撤退、避難民、戦死者ともに不明であるが、8月段階でも約50人が壕内にとどまっていたいう。

開口部が2つ見える。

案内板のある開口部。

海軍航空隊巌(いわを)部隊の本部陣地壕跡。日本軍は、この地を寿山と称した。 小禄飛行場防衛のため、小禄(おろく)・豊見城(とみぐすく)一帯では、海軍少将大田実(おおたみのる)司令官の指揮下に連合陸戦部隊が編成され、多くの陣地壕が掘られた。その一つが本壕で、1944年(昭和19)8月から12月にかけて住民も動員して突貫工...

場所:


撮影:2022年10月


沖縄戦跡慰霊巡拝

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沖縄戦跡慰霊巡拝の記録「その12」となります。 その11は、下記にて。 2022年10月記録です みたま安ら...

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