館山散策の続き。
本記事は「その6」です。「その5」はこちらにて。
目次
鷹之島弁天閣(館山海軍航空隊航空神社跡)
境内には、館山海軍航空隊のマークが取り付けられた手水盤がある。
もともとは、館山海軍航空隊の鎮護のために建立された「航空神社」に奉納されたもの。
高ノ島には、厳島神社が祀られていたが、海軍用地となり移転。
「航空神社」が創建し、昭和10年6月22日銘で手水盤が奉納されている。
「航空神社」は、戦後に破却され、厳島神社が昭和24年に復し鷹之島弁天閣となった。
高ノ島の厳島神社(弁財天)は平安時代中期の1092年に安房国司により勧進。
高ノ島は、大将12年(1923)の関東大震災による隆起で干潟となっている。
昭和十年六月二十二日
御社殿の手前に、手水盤
海軍兵器整備予備学生戦没者慰霊碑
鷹之島弁天閣境内。
戦没した海軍兵器整備予備学生を慰霊する。
海軍兵器整備予備学生戦没者慰霊碑
此処に刻せる戦没者名は昭和拾六年より昭和弐拾年に亘る第二次世界大戦の間 戦雲急を告げ全国の高等工業学校専門学校及び大学理工科系卒業後の若人等が 此の地館山洲ノ埼海軍航空隊に入隊し海軍兵器整備予備学生の教育訓練課程修業 期間を卒業し勇躍任務地に赴きしが武運に恵まれること無く国家の為散華せる 英霊を顕彰慰霊したるものなり
思い起こせば敗戦より四拾有余年遺憾交々去来す茲に兵器整備予備学生存命の同士等連携相集いて本碑建立せり
平成弐年拾月
関東大震災の祈念碑もある。
大正地震祈念碑
場所
沖ノ島
はい、季節を間違えました。
こういう場所は、閑散期に訪れるべきでした。大絶賛で繁忙期です。
さすがにカメラをぶら下げて、海水浴場を歩けないので、ここからはスマホに切り替え。
沖ノ島狙撃陣地跡
沖ノ島地下壕跡
まあ、冬に来ましょう、、、
場所
第二海軍航空廠館山補給工場跡
海自館山基地の隣に残る大きな建物。
現在は民間企業が使用している。
外装がキレイになってますね。
米軍上陸の地
昭和20年9月2日降伏文書調印。 翌9月3日午前9時20分、米陸軍第8軍第11軍団第112騎兵連隊戦闘団約3,500人(司令官カニンガム准将)が館山上陸。 この館山が米軍による本土初上陸の地なのだ。
米軍上陸の地
1945(昭和20)年9月2日、東京湾上の戦艦ミズーリの降伏文書調印式によって第二次大戦が終わった。翌3日、カニンガム准将の率いる米陸軍第8軍約3500名が館山海軍航空隊水上半滑走台から上陸した。東京湾の入口である軍都館山は、このとき本土で唯一、4日間の直接軍政が敷かれた。
案内看板が、だいぶ薄くなってますね、、、
むかしは、この脇の通路を抜けて、「館山海軍航空隊水上班滑走台跡」なスリップ場にも行けたのですけど、いまは行けなくなりました。
場所
館山湾から、館山城を望む。館山城址には砲台もあった。
散策漏れ多数なので、館山は再訪必須ですね、、、
※2023年7月