臨時東京第三陸軍病院跡(相模原)

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小田急相模原駅から一直線に伸びる道路を1.5キロほど突き当たりまで歩いていくと、「国立相模原病院」にたどり着く。「国立相模原病院」はかつて、「陸軍病院」であった。

軍都相模原
昭和12年(1937)に「陸軍士官学校本科」が、座間・相模原に移転。
その後も続々と陸軍関連施設が展開。
「相模陸軍造兵廠」「陸軍兵器学校」「陸軍機甲整備学校」「陸軍通信学校」「相武台陸軍病院」など。

臨時東京第三陸軍病院
昭和13年4月、野戦病院として、「臨時東京第三陸軍病院」創設。突貫でバラック建物を建てたという短期間設営の病院であったが、規模は大病院以上。陸軍直轄病院。東日本最大の陸軍病院であった。
陸軍病院の開院に合わせて小田急相模原駅が開業。
昭和天皇が、戦地からの傷病兵を見舞うために、行幸された唯一の陸軍病院。敷地内は記念碑が残っている。

昭和20年12月、戦後、臨時東京第三陸軍病院は、厚生省に移管され、「国立相模原病院」として発足する。

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臨時東京第三陸軍病院 行幸記念碑

相模原病院正門右手に。陸軍病院時代を物語る石碑。

行幸記念碑
陸軍省医務局長 三木良英 謹書

(裏面)
行幸 昭和14年3月14日
臨時東京第三陸軍病院

(添碑)

昭和15年5月
 臨時東京第三陸軍病院長
 陸軍軍医少将 押火権太郎 選並書

昭和14年3月14日に、支那事変での傷病将兵を 昭和天皇が見舞うために行幸されたことを記念する碑。
昭和15年に建立された。

行幸記念碑と相模原病院


相模原病院

相模台商店街通り(サウザンロード相模台)

古道「辰街道」(たつ街道)
小田急相模原駅と相模原病院を結ぶ道路。

※2021年4月撮影


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