東京裁判と久保山火葬場(横浜市西区)

東京裁判と殉国七士

巣鴨プリズン
昭和23年(1948年)12月23日、 当時、皇太子であった 上皇陛下の15歳の誕生日であった。

12月23日の尊い「国民の祝い日」であった夜中の午前0時。
巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)で極東国際軍事裁判(東京裁判)により「戦犯」として死刑判決が処せられた7名の絞首刑が執行された。

  • 板垣征四郎 陸軍大将・陸相
           <中国侵略・米国に対する平和の罪>
  • 木村兵太郎 陸軍大将・ビルマ方面軍司令官
           <英国に対する戦争開始の罪>
  • 土肥原賢二 陸軍大将・奉天特務機関長
           <中国侵略の罪>
  • 東條英機  陸軍大将・第40代内閣総理大臣
           <真珠湾不法攻撃、米国軍隊と一般人を殺害した罪>
  • 武藤章   陸軍中将・第14方面軍参謀長
           <一部捕虜虐待の罪>
  • 松井石根  陸軍大将・中支那方面軍司令官
           <捕虜及び一般人に対する国際法違反(南京事件)>
  • 広田弘毅  文官・第32代内閣総理大臣
           <近衛内閣外相時に南京事件を止めなかった不作為責任>
令和2年になっても、12月23日は特別な記念日という想いが強い。 平成の時代は 天皇誕生日、であった。そして令和の時代は 上皇誕生日...

横浜・久保山
巣鴨プリズンで処刑された7人の遺体は、横浜の久保山火葬場に運び込まれ、厳重警戒の中で焼却された。
遺族は遺骨遺灰の引き取りを願ったが、GHQはA級戦犯七士が神聖化されることを恐れ拒絶。
そうして、A級戦犯七士の遺骨は米兵によって粉々に砕かれ東京湾に捨てられた。
遺骨灰の殆どは米軍が処理したが、細かい遺骨や遺灰は、久保山火葬場のコンクリ穴に捨てられていた。この僅かな遺骨と遺灰を回収するために、小磯国昭弁護人三文字正平、興禅寺住職市川伊雄、久保山火葬場場長飛田善美は、米兵がクリスマスで浮かれている12月26日の夜中に、必至の覚悟で密かに忍び込み、苦心の末に骨壺一杯分の遺骨灰を集めることに成功した。

熱海・興亜観音
骨壺は密かに久保山火葬場から、すぐ隣に鎮座していた市川住職の興禅寺に運び出され、しばらくは興禅寺に隠されていたが、やはり久保山葬祭場のすぐ近くは危険だということもあり、三文字弁護士や市川住職、七士の遺族の人々が、極秘のうちに相談した結果、翌年昭和24年5月三日に松井石根大将ゆかりの熱海・興亜観音に運ばれることとなった。
三文字正平は、広田弘毅氏の令息、東條未亡人、武藤未亡人らとともに興亜観音住職伊丹忍礼に相談。「知り合いの方の遺骨灰だが時期が来るまで、誰にもわからぬように秘蔵しておいて欲しい」と申し出て、伊丹住職は一見して七士のご遺骨灰であることを直感し、快諾。そうして東亜観音にて遺骨灰は秘匿された。

「七士之碑」建立
密かに興亜観音に運び込まれた七士のご遺灰は10年もの間、秘事として興亜観音の初代住職伊丹忍礼によって護持されてきた。
昭和34年4月一九日、松井大将の無二の親友であった高木陸郎氏(興亜観音奉賛会長)らの発起により、吉田茂元総理の筆になる「七士の碑」が建立された。吉田茂は、広田弘毅の外交官時代の同期でもあった。「七士之碑」建立の際は、81歳と高齢な吉田茂は、興亜観音の山道を籠に乗って登られた。
ご遺灰は、「七士之碑」の碑の下に約3メートルの地下に埋葬されている。
碑文についても種々議論があったが、「知る人ぞ知る「七士之碑」でいいではないか」との結論に落ち着いたという。
そして昭和35年には、遺灰の回収と秘匿に尽力した三文字弁護士の発起により愛知県の三ヶ根山(松井石根の出身地)にある「殉国七士墓」に、「興亜観音」にある骨壷から香盒1ヶ分ほどが分骨埋葬された。

静岡県熱海市伊豆山。太平洋を望む風光明媚な伊豆山鳴沢山の中腹。陸軍大将 松井岩根が願主となって支那事変戦歿者を「怨親平等」わけへだてなしに...

六十烈士忠魂碑(光明寺)

久保山火葬場近くの光明寺には、極東軍事裁判によって巣鴨プリズンで極刑死せられ、久保山火葬場で茶毘に付された、東條英機(陸軍大将)らA級戦犯7人をはじめとする、六十吊の方々の忠魂碑がある。

合掌

顕彰記
この碑は天をも畏れぬ赦し難き 不法な極東国際軍事裁判の結果 巣鴨刑務所で極刑死せられ 当地 久保山で茶毘に付された東條首相 以下六十吊の忠魂碑である (烈士吊は碑裏面に処刑順記載) この殉国烈士の慰霊は日本協会 や有志の方により行われていたが 昭和四十三年当光明寺境内に碑が 建立せられるに及び 日本協会に 次いで昭和五十七年以降は当会が 毎年慰霊祭を挙行している
 平成十年六月 日本郷友連盟神奈川県支部

六十烈士  忠魂碑

別記の諸氏は大東亞戦争おいて盡忠報国の誠を貫きたるに拘らず旧敵國の一方的裁判により巣鴨において極刑を授けられたり 本会は深く之を悼み諸氏を此地に合祀して忠霊を慰めかつ其遺功を後世に伝えんことを冀う

六十烈士元官職吊故氏吊
陸軍中尉 由利敬、陸軍大尉 福原勲、陸軍大尉 平手嘉一、陸軍大尉 満淵正明
陸軍中尉 池上宇一、陸軍大尉 末松一幹、陸軍軍属 本田始、陸軍憲兵中尉 本川貞
陸軍軍属 牟田松吉、陸軍軍曹 武田定、陸軍軍属 髙木芳郎、陸軍大佐 宮沢亥重
陸軍軍曹 穂積正克、海軍上等兵曹 潁川幸生、陸軍大尉 都市野順三郎
陸軍伊長 相原一胤、陸軍大尉 中島祐雄、陸軍軍属 平松貞次
陸軍一等兵 川手晴美、陸軍軍属 木村保、陸軍軍属 吉沢国夫、陸軍曹長 道下正能
陸軍少佐 村上宅治、陸軍大佐 尾屋刢、陸軍大尉 西澤正夫、陸軍准尉 柴野忠雄
首相 東條英機、陸軍大将 土肥原賢二、陸軍大将 松井石根、陸軍大将 板垣征四郎
首相 広田弘毅、陸軍大将 木村兵太郎、陸軍中将 武藤章、陸軍軍医少将 水口安俊
陸軍少将 河根良賢、陸軍大佐 平野庫太郎、陸軍中尉 石﨑英男
陸軍曹長 片岡正雄、陸軍上等兵 斉藤善太郎、陸軍伊長 富岡菊雄
陸軍兵長 伊藤正治、陸軍中佐 田中義成、陸軍主計准尉 小西貞明
海軍中佐 大隈馨、海軍中佐 佐藤勇、陸軍軍属 柳沢章、陸軍軍属 関原政次
陸軍軍属 秋山米作、陸軍軍属 小日向治、陸軍軍属 鈴木賞博、陸軍軍属 牛木榮一
陸軍中将 岡田資、陸軍衛生曹長 青木勇次、海軍大佐 井上乙彦
海軍大尉 井上勝太郎、海軍大尉 幕田稔、海軍少尉 田口泰正、海軍大尉 榎本宗応
海軍一等兵曹 藤中松雄、海軍上等兵曹 成迫忠邦  昇霊順
 昭和四十三年十月建之
  日本協会
  日本郷友連盟神奈川県支部協賛
  日本協会々長 正三位勲一等下村定謹誌
   久保山花塚石材店謹刻

いわゆるA旧戦犯として、処刑された、七士
 首相 東條英機、
 陸軍大将 土肥原賢二、
 陸軍大将 松井石根、
 陸軍大将 板垣征四郎
 首相 広田弘毅、
 陸軍大将 木村兵太郎、
 陸軍中将 武藤章

光明寺


市川伊雄大和尚顕彰碑(興禅寺)

東條英機らA級戦犯7名の遺骨を密かに運び出した市川伊雄大和尚の功績を讃える顕彰碑。
昭和44年9月7日建立。

市川伊雄大和尚顕彰碑
碑文
(和尚の経歴など前略)
大東亜戦争後東京軍事裁判々決により、連合軍の東條元首相外六氏は、久保山火葬場に於て火葬 その遺骨の総てが遺族に還らざるを知り愕然出家の身として黙し難く身の危険をも顧りみず其の遺骨を搬出密かに当寺に安置回向其の冥福を祈る等禅僧としてその気概気風は寔に豪にして高邁の姿に後日世の注目を集めたが大和尚の姿は終始一貫経典の心にあり正義を貫く和尚一代を畢生の念願とした


久保山火葬場(久保山斎場)

神奈川県横浜市西区元久保。

久保山火葬場は昭和20年10月に連合軍に接収。
極東軍事裁判で裁かれた巣鴨プリズン刑死者の火葬が、この久保山火葬場で行われた。

久保山火葬場場長飛田善美は、極東軍事裁判終了後に、巣鴨で処刑され久保山で火葬された60名の遺灰が集められていた場内に供養塔を建立。今も久保山斎場内に残されているという。(火葬場という性質上、無造作に足を運ぶべき場所ではないので敷地内は未確認)


久保山墓地には、広田弘毅と外交官同期であった吉田茂の墓がある。

吉田茂墓

吉田茂墓の詳細に関しては、別記事予定。

※本記事の撮影は2021年3月


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