鎮魂・戦艦「大和」(4月7日)

昭和20年(1945)4月7日を偲ぶ。 戦艦大和が沈没した節目の日に。

昭和20年4月7日14時23分。

大日本帝国海軍の栄光を担った戦艦「大和」。

象徴でもあった戦艦「大和」

一億総特攻の魁として、坊ノ岬沖に散華した。

感謝と哀悼を…。

第二艦隊旗艦「大和」

司令官・伊藤整一中将

第二水雷戦隊旗艦・軽巡「矢矧」 司令官・古村啓蔵少将

第四十一駆逐隊(冬月、涼月)

第十七駆逐隊(磯風、浜風、雪風)

第二十一駆逐隊(朝霜、初霜、霞)

大和・矢矧・磯風・浜風・朝霜・霞沈没 戦死 約3700名


大和国延喜式内社・名神大社 「大和神社」

「祖霊社」(大和神社境内末社)

御例祭4月7日

戦艦大和を始めとする第二水上特攻隊に乗組み沖縄決戦に起死回天を計りし諸英霊戦没者を合わせ祀る。

戦艦大和には大和神社より艦内神社が勧請されていた。

※撮影は平成16年8月


呉海軍墓地(長迫公園)

戦艦大和戦死者之碑

昭和54年4月7日建立

合祀者 約2800柱

合掌

※撮影は平成29年3月


呉市海事歴史科学館

大和ミュージアム

※撮影は平成29年3月

大和ミュージアム

左1番目 白 46センチ九十一式徹甲弾

左2番目 赤 46センチ九十一式三式焼霰弾


大和の生まれた地 「大和のふるさと」

旧・呉海軍工廠造船船渠(大和の建造用ドック跡)

現在はドック跡は埋め立てられジャパンマリンユナイテッド社の部品組立工場として活用。屋根の骨組みは海軍工廠当時のまま残る。

※撮影は平成29年3月


噫(ああ)戦艦大和塔

昭和44年の30回目の大和進水日(8月8日)を記念して大和艦橋をかたどった塔が呉の大和ドック跡を望む丘に建立。

※撮影は平成29年3月

噫戦艦大和塔

…沖縄の危急を救うべく…大和は特攻艦隊旗艦として…再び生きて帰らぬ覚悟をもって出撃し…雄図空しく南冥の海に護国の華と散った… …日本海軍が研究を積み重ねてきた…造船技術は戦後いち早くその実力を表し「大和は沈んでもその技術は沈まなかった」と…

建塔の由来
戦艦大和は、この塔の左下方に見える造船々渠で、昭和十二年十一月 仮称第一号艦として起工、同十五年八月八日極秘裏に進水、翌十六年十二月十六日竣工、直ちに連合艦隊旗艦として太平洋戦争に歴戦、同二十年四月七日、国民の全く知らぬ内に乗員三千余名と共に九州西南海中に姿を没した空前絶後の大戦艦であった。
その頃(一九四〇年)までの海戦は、敵弾が届かない遠距離からの先制攻撃で勝敗を決しようとするいわゆる大艦巨砲時代であったが、大和の主砲は口径四六糎、長さ二〇米、その砲弾の長さ二米、重さ一・五噸、着弾距離四万二千米、ここから岩国付近まで飛ぶ世界無比の巨砲で、この大きさが大和の秘中の秘であった。
この大砲三門をならべた砲塔は、直径一三米、重量二千七百余噸もあり、これを製作したのは砲弾部で、またこの砲塔や船体の主要部を防御する四一糎乃至六五糎の厚い特殊甲鉄は製鋼部で製造された。
戦艦大和はこの砲塔三基を積むために特別に設計せられ、従って鑑は異様なまでに幅が広くなり、排水量は六万九千噸を越えたが、それでもなお、二七・五ノットの高速艇であった。
巨艦大和の建造は五万を数えた呉海軍工廠の従業員が、優秀な技術と精魂を傾け、四ヵ年余の短期間で、延べ約三百万人の力と、当時一億一千万円の巨費とをもって完成したのである。
昭和十六年十二月八日、太平洋戦争劈頭の真珠湾奇襲、続くマレー沖海戦で、飛行機魚雷が容易に大戦艦を撃沈できることを、皮肉にも日本海軍が実証して自ら大艦巨砲至上の夢を破り、やがて戦局不利を来し、敵の制空権下沖縄の危急を救うべく、航空戦力を伴わないで、大和は特攻艦艇旗艦として燃料片道再び生きて帰らぬ覚悟をもって出撃し、その持てる巨砲の猛威を発揮しようとしたが、雄図空しく南冥の海に護国の華と散ったことは誠に遺憾の極みであった。
併しながら、明治維新以来八十年間、日本海軍が研究を積み重ねて来た製鋼、機械、電機等の重工業並びに各種産業 殊に造船技術は戦後いちはやくその実力を現し、いまやわが国は造船王国として世界に雄飛するに至っている。これまことに「大和は沈んでもその技術は沈まなかった」といわれる所以である。
軍艦大和は二十世紀における世界最大最強の戦艦であって、しかも日本人の手で設計し、呉海軍工廠において呉市民の手で建造された誇り高き技術の結晶であったとの見地から、これを生んだ呉工廠の跡を一望できるここ宮原の高台に、全国大方有志諸賢の協賛を得て記念塔を建設しもって、平和を念願しつつ先人苦心の業績をたたえ、またその悲壮な最期を偲んでこれが霊を慰め、永くその栄誉を顕彰しようとするものである。後の世の人々よ、願わくば建塔の由来を諒とせられ、この塔を永久に維持保存されることを謹んで識す。
昭和四十四年八月八日 戦艦大和 第三十回進水記念日


呉海軍墓地

「大東亜戦争戦歿者之碑」

呉地方復員局長森下信衛書 (昭和22年1月25日建立)

森下信衛氏は大和特攻時には大和に乗艦し第二艦隊参謀長。 大和に殉じた最期の大和艦長・有賀幸作、そして大和を護衛した第二水雷戦隊司令官・古村啓蔵とは海兵同期。


愛知県護国神社

戦艦大和記念碑

戦艦大和乗組の英霊2,700余柱を顕彰のため、東海地区戦艦大和会が昭和42年4月7日建立。

記念碑主体は大和主砲(四六糎砲)弾の実物。 昭和60年4月7日に整備改修。

愛知県護国神社

戦艦大和記念碑
…時に昭和二十年四月七日、沖縄の北四八〇粁、想うにこの世紀の巨艦を造り得た国民の気迫と祖国の危急存亡のときにのぞみ 甘んじて死地に投じた崇高なる精神とは永くわが民族の中に脈動するであろう…

碑文

戦艦大和は日本が建造した世界に誇る史上最大最強の戦艦であった
第二次世界大戦中海上作戦の中枢として活躍していたが昭和二十年に入り戦況急迫しついに連合軍が大挙して沖縄に進行して来たとき海上特別攻撃隊旗艦となり巡洋艦矢矧及駆逐艦八隻とともに徳山沖を出撃してこの敵艦隊に対し特攻不帰の悲壮なる突入作戦を決行した
進撃の途上優勢なる敵機の連続猛攻を受け優先奮闘したがわれには一機の護衛戦闘機もなく被害は累積して遂に沈没す
この時伊藤司令官有賀艦長以下乗組員弐千七百有余名は艦と運命を共にした
時に昭和二十年四月七日沖縄の北四八〇粁想うにこの世紀の巨艦を造り得た国民の気迫と祖国の危急存亡のときにのぞみ甘んじて死地に投じた崇高なる精神とは永くわが民族の中に脈動するであろう
ここに大和主砲弾を安置して光栄ある海軍を記念するとともに大和をはじめ幾多殉国の英霊に感謝の誠を捧げあわせて祖国日本の繁栄と世界平和を祈念する
昭和四十二年四月七日 東海地区 戦艦大和会


映画「男たちの大和」ロケセット

そこには、 英雄でも、 犠牲者でもなく、 3333名の、男たちがいた。 戦後60年記念作品 「男たちの大和」

※平成18年1月撮影(尾道) 撤去済み

映画「男たちの大和」

(2005年12月公開・東映)

これもまた、 往時を偲ぶべき、 大和へのレクイエム…


この世界の片隅に

(2016年公開映画)

なんですか?フネ…ですか?

「大和」…じゃ  東洋一の軍港で生まれた世界一の軍艦じゃ

はぁ、あれにも人が乗っとるの?

ああ、ざっと2700人

にせん…ななひゃくにん? そうじゃ、呉へお帰り言うたってくれ、すずさん


かみちゅ!

第9話「時の河を越えて」

2005年放送・TVアニメ

「二宮くんがなついている大工の源さんは、かつて第二次世界大戦の時、あの戦艦・大和に乗っていたことがある人物だった。源さんからそんな話を聞いてすぐ、三つ輪丸という船の幽霊が一橋ゆりえのもとへとやってくる。彼は大和の沈んだ場所に同様に住む船で、大和の帰還を叶えてあげたくて、わざわざゆりえの下までお願いに来たのだった・・・」


入船山記念館(呉市)

ボランティアのおじさんが面白い話を。

「戦艦大和の大きさを体感してみませんか?」「え?」

入船山記念館と病院のある端から、突き当りまでが約263m。 これが戦艦「大和」の全長と同じ。 なんと、目の前の道路で大和の長さが体感できる!


矢矧・佐世保海軍墓地

軍艦矢矧戦没者慰霊碑 

(昭和44年4月13日建立)

艦と運命をともにした内野副長以下446名及び他海戦の戦死者などを含む486柱の英霊を祀る。 昭和20年4月7日、大和護衛の第二水雷戦隊旗艦として活躍し大和とともに轟沈。

※画像は公式サイト様(tvs12.jp/~s-kaigunbochi…)より


浜風・呉海軍墓地

「駆逐艦浜風戦歿者慰霊碑」

陽炎型13番艦「浜風」(濱風)

第17駆逐隊に所属した姉妹艦と主要な海戦に参加。戦艦武蔵・金剛・空母蒼龍・飛鷹・信濃といった帝国海軍主力艦の沈没に立ち会い救助活動に従事。 最後は昭和20年4月7日の坊ノ岬沖海戦で戦艦大和と共に撃沈。


初霜・佐世保海軍墓地

駆逐艦初霜慰霊碑

(昭和58年10月8日建立)

戦没者26名を祀る。初春型駆逐艦4番艦。初霜最後の艦長酒匂雅三少佐謹書。 大和の沖縄特攻に直衛艦として参加するも奇跡的に損傷を受けず佐世保に帰還。昭和20年7月30日宮津港において対空戦闘回避中に機雷触雷し大破着底し終戦を迎えた。

平成28年5月撮影 旧帝国海軍駆逐艦「初霜」の錨墨田区:山田記念病院 初霜の錨 一等駆逐艦初春型の4番艦 「初霜」 そ...

第十七駆逐隊・呉海軍墓地

第十七駆逐隊之碑

谷風・浦風・浜風・磯風・雪風・初霜

碑文
第十七駆逐隊の戦歴 我が第十七駆逐隊は谷風浦風浜風磯風雪風初霜の六艦を以って編成され大東亜戦争を戦ったが昭和十九年六月九日北ボルネオ沖にて谷風を失い浦風は昭和一九年十一月二十一日台湾海峡にて沈没。
浜風・磯風は昭和20年4月7日沖縄洋上にて沈没。初霜は同年7月宮津湾で破損し憾みを千載に残した。雪風は最期まで艦が保全され終戦後は復員船として活躍した。
当駆逐艦隊は日本海軍の誇る精鋭の甲型駆逐艦でさきの大戦において祖国日本の防衛に任じ数々の武勲をたてたが総員六百五十五柱の戦没者をみた誠に痛恨の極みである。茲に第十七駆逐艦の栄光を後世に伝え且つは祖国の安泰と英霊の安からんことを祈念して同志相寄り謹んでこの碑を建立する。
昭和57年3月21日


涼月/冬月・佐世保海軍墓地

駆逐艦涼月・冬月・柳慰霊碑の案内標

上記3艦は北九州市若松区の高塔山に鎮座。その案内標が佐世保海軍墓地にある。涼月・冬月は大和特攻作戦に参加し2艦ともに佐世保に帰還。(涼月は大破後進帰還) 尚、涼月・冬月・柳は「軍艦堤防」として北九州の地で防波堤になっている。


軍艦防波堤

秋月型防空駆逐艦3番艦「涼月」8番艦「冬月」

桃型駆逐艦4番艦「柳」(初代)

この3艦は今も「軍艦防波堤」として北九州市若松港の防波堤として国土を護っている・・・

場所→goo.gl/maps/QWMGDqkgT…

いつかは訪れたい場所のひとつです・・・


旧・呉海軍工廠造船船渠 (大和の建造用ドック跡)

大日本帝国海軍・大和型戦艦1番艦「大和」 その史上最大の戦艦「大和」が生まれた呉の海では、 帝国海軍の伝統を墨守する海上自衛隊の護衛艦が停泊していた…

※撮影は平成29年3月


葬送の詩を奉じ大和を偲びし〆を。

ありがとうございました…

「海行かば」

海行かば 水漬く屍

山行かば 草生す屍

大君の 辺にこそ死なめ

かへり見はせじ

(最後の写真出典)朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/topics/word/%E6%88%A6%E8%89%A6%E5%A4%A7%E5%92%8C.html …


掲載した写真

広島県呉市

 呉海軍墓地(長迫公園)

 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)

 大和ドック跡

 噫戦艦大和塔

広島県尾道市

 男たちの大和(展示終了)

奈良県天理市

 大和神社境内末社「祖霊社」

愛知県名古屋市

 愛知県護国神社「戦艦大和記念碑」


戦艦「大和」史跡関連で、まだ行ったことがなく将来の課題

鹿児島県徳之島の「犬田布岬(いぬたぶみさき)」

   戦艦大和慰霊塔

鹿児島県枕崎市の「平和祈念展望台(火之神公園内)」

 戦艦大和殉難鎮魂之碑


戦艦大和に関連する事柄を随時追記していきます・・・