商店街に刻まれた仙台空襲の爆心地「仙台空襲爆撃中心点」(仙台の戦跡散策・その9)

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仙台市のクリスロード商店街というアーケード街に、人知れず刻まれたモニュメント。

「仙台空襲爆撃中心点」

仙台空襲において、この場所が、B-29爆撃機の目標地点であったのだ。

平和の願い込めて踏み固める「平和の礎」


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仙台空襲爆撃中心点

1945.7.10
仙台空襲爆撃中心点
2021年12月8日設置 
仙台空襲を記録する有志の会

仙台新伝馬町ビルの入口の足下に設置されている。

仙台市戦災復興記念館での解説によると、実際は、このマンホールの位置が本当の中心点という。

場所:
https://maps.app.goo.gl/jw7Bay6mMWgy2MCcA


「仙台空襲爆擊中心点」の解説
(仙台市戦災復興記念館)

仙台市戦災復興記念館より関連する事項を抜粋

B-29は「リト·モザイク」という地図をたよりに仙台を空襲しました
左は70余年前,仙台の街を空襲するため、B-29爆撃機が持参した地図で、半径1.2kmの黄色の円が描かれています。
米軍は,この円内に、投下した焼夷弾の半量が落ちれば、仙台の街は焼け落ちると考えており、全ての焼夷弾を円の中心(爆撃中心点)に落とすよう命じました。
日付が7月10日に変わった頃、長町方面から飛来したB-29、123機は、1機ずつ爆撃中心点を目指して焼夷弾を投下し仙台の街を焼きました。その間2時間余。
近年、この時の爆撃中心点は、現在のクリスロードと東三番丁の交差点であった事が、米軍資料より分りました。

リト·モザイク
この下の写真は、B-29が携行してきたリト·モザイク(爆撃中心点参照用石版集成図)です。
南から市内に侵入してきたB-29 は、黄色の円中心の爆撃中心点にすべての焼夷弾を投下するよう命じられていました。

「仙台空襲爆擊中心点」銘板
仙台空襲の爆撃中心点に2021年に設置され、その後の銘板更新に伴い、
「仙台空襲を記録する有志の会」より寄贈された銘板です。
歴史を忘れず、平和の礎を踏み固めてほしいという願いをこめております。
ぜひ銘板を踏み、平和の礎を踏み固める一歩にしていただきたいと思います。

踏みしめてみて下さい。
爆撃中心点の銘板です。

場所:


東二小の「戦災くすのき」

仙台市立東二番丁小学校。

仙台空襲で焼失したが、再び芽吹いた「くすのき」
仙台復興のシンボルでもある。

昭和20年7月10日の仙台空襲で校舎とともに焼失したが、3年目に再び芽を出し現在の姿に成長した。

場所:


東二小の「平和観音の碑」

仙台市立東二番丁小学校。

敷地外からだと、碑面裏しか見えずだが、これがきっと「平和観音像の碑」。

仙台市戦災復興記念館より。

仙台空襲で亡くなった児童(23名)の冥福を祈るために昭和23年に建立された石碑。
土井晩翠の画を碑面に彫刻したものという。土井晩翠は仙台出身。


仙台空襲を伝承する石蔵

石造の秋保石でできた「旧志ら梅酒造の石蔵」。
仙台空襲の生き証人。

昭和20年の仙台大空襲では降ってきた焼夷弾が瓦屋根を突き抜け内部の収蔵品すべてを灰燼に帰したが、石造蔵の外観は残った。

仙台駅から徒歩5分の場所に小規模スペース「スモールオフィス」を新たにリリース!好立地で珍しいリノベーションオフィス。ハイパーティションでセキュリティ万全!スモールオフィスの見学も可能、事務所をお探しの方は是非一度ご覧ください。入居者募集中! 秋保石石蔵(国分町)・・・現在賃貸は行っておりません。

なお、「志ら梅」の吉岡酒造店は2010年閉店し酒造事業を撤退。酒蔵跡地は駐車場になり当時の石蔵が残る。現在はテナントビル業と駐車場業に転業している。

場所:

※撮影:2025年9月


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