福島県福島市。信夫山のふもとに福島縣護國神社が鎮座している。
立ち寄る機会がありましたので、参拝してきました。
御英霊に感謝を。
目次
福島縣護國神社
福島県下の英霊6万9千余柱を祀る。
福島縣護國神社
御祭神 御英霊
御神徳 平和・繁栄
由緒
当神社は明治12年10月4日、県内三ヶ所(相馬・三春・若松)の招魂場の御霊を合祀し、信夫山の地に招魂社として創建されました。
現在の社殿は昭和12年に造営され、戊辰の役から大東亜戦に至るまで、国家平安のための御英霊6万9千余柱をおまつりしてあります。
明治の初めから指定官祭福島招魂社となり、戦時中官祭福島県護國神社となりました。この間皇室より数々の御参拝を賜り、幣帛料・幣饌料を捧げられた由緒深い神社であります。
近年におきましては平成7年9月天皇陛下より幣帛料を、同年10月天皇・皇后両陛下より幣饌料が捧げられました。
平成8年7月には神社本庁の別表神社に加列され現在に至って居ります。
福島縣護國神社サイト
大鳥居
日の丸が美しい。
社頭
晴天の日の丸
ちょうど8月の訪問は、英霊感謝のみたままつり。
献燈は、福島県海軍甲種飛行予科練習生出身者の会による。
狛犬
奉納 皇紀二千六百年紀念
郡山地方専売局管内
煙草小売人組合連合会
社頭の鳥居
みたままつり
境内は、みたたまつりの黄色い提灯で彩られ。
拝殿
深く拝する。
御英霊に感謝と哀悼を。
さざれ石
悠久平和の碑
歩兵第29聯隊戦没者4,300余柱の慰霊顕彰
悠久平和の碑
碑文
私達はかっての大東亜戦争において幾多の辛苦を乗り越えて、ジャワ島、ガダルカナル島、ニューブリテン島ラバウル、フィリッピン島、マレー半島更にはビルマ、中国雲南省、佛領印度支那に勇戦奮闘し、その間多くの戦友が身命を祖国の為に捧げられました。
髀肉の嘆を託ちつつも、命永らえた私達が終生、断じて忘れ得ない英霊の偉大なる功績を偲び、戦場に散華された若き身命を惜しむとともに、その霊安かれと念ずるよすがとして、ここに悠久平和の碑を建立するものであります。
あの戦争の凄惨と苦難を身を以て体験した私たちこそ、子々孫々に至るまで人類社会の太平を念願するものであります。
願わくば殉国の四千三百五十八人の英霊よ、この平和への道を御照覧あられんことを。
平成二年四月二十三日
会津若松 歩兵第二十九聯隊会
略称 勇第一三〇三部隊
会長 遠藤 正弥
福島県送出満蒙軍開拓青少年義勇軍
慰霊の碑
福島県から進出した満蒙開拓青少年義勇軍の慰霊顕彰
時の国策に殉じた 少年達の霊 ここに眠る
国の礎たらんことを自覚し 身を挺して 散華したあなたたち満蒙開拓青少年義勇軍
我等義勇軍ハ 天祖ノ宏謨ヲ奉ジ 心ヲ一ニシテ追伸シ
身ヲ満州建国 聖業ニ捧ゲ 神明二誓ッテ
天皇陛下ノ大御心ニ副イ奉ランコトヲ期ス
この綱領を胸に 祖国の安泰と五族協和 王道楽土の建設を夢見て旅立った 同志の御魂よ
いま 護国の神域に相寄り 安らかに鎮まらんことを
昭和五十三年九月彼岸
福島県拓友連絡協議会会員一同
殉職救護員慰霊碑
福島県赤十字泉寺救護員戦没者32柱の慰霊顕彰
この碑は、支那事変から大東亜戦争にかけて日本赤十字社福島支部所属戦時救護員として応召し、若い尊い命を捧げた殉難教護員三十二名のみたまを慰めるために建立しました。
戦時救護のため、陸軍に配属され、黄塵まきあげる大陸や灼熱の南方地域に派遣され、あるいは怒涛さかまく海上輸送の任務について、戦傷者の救護に献身し、不幸にも病魔にたおれ爆撃に散華した清く凛々しい姿をしのび、思い新たなものがあります。
私達は深い祈りの心をこめて、その徳をしたい永久に師表と仰ぐ資とするものであります。
昭和四十二年十月三十日
日本赤十字社看護婦同方会福島県支部
招魂碑(信夫山招魂社碑)
信夫山招魂社の由来を記載。
扁額は、有栖川宮熾仁親王による。
大燈籠
大日本国防婦人会福島地方本部解散紀念の献燈。
昭和17年2月16日。
昭和17年に、第日本国防婦人会(国婦)や愛国婦人会(愛婦)、大日本連合婦人会(連婦)などは、全て新設された大日本婦人会に統合されている。
御朱印
御朱印を頂戴しました。
靖國神社の「さくら陶板」
信夫山天満宮
護国神社に、きちんとした境内社があるのは珍しい。
昭和63年、大宰府天満宮より御分霊を拝戴した、東北の大宰府天満宮。
黒沼神社
護國神社は別法人の神社。
神社としての由緒は、黒沼神社のほうが古く、延喜式内社(平安時代の延喜式に記載のある古社)として、式内社・黒沼神社の論社の一つ。
※撮影:2023年8月