大宮公園を歩いていたら、みつけましたので。
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1940年東京オリンピック(東京1940)
1940年東京オリンピック(第12回)は、1940年(昭和15年)9月21日から10月6日まで、東京府東京市での開催が予定されていた夏季オリンピック。東京1940(Tokyo 1940)と呼称。
史上初となるアジアで行われる五輪大会と紀元二千六百年記念行事(第12回夏季オリンピック東京大会と第5回冬季オリンピック札幌大会と紀元2600年記念日本万国博覧会を大規模開催予定だった)として準備が進められていたものの、支那事変の勃発や物資や兵士を取られる軍部の反対などから日本政府は1938年(昭和13年)に開催権を返上、実現には至らなかった。
第二次世界大戦後、1964年(昭和39年)の東京オリンピックが、日本、そしてアジアで初のオリンピックとなった。
大宮公園陸上競技場兼双輪場(大宮競輪場)
大宮競輪場は1939年に大宮公園に建設された国内初の自転車競技場。
これは1940年に開催予定(中止)だった「東京オリンピック」の自転車競技(トラック競技)の会場として使用する事を想定されたために建設されたものであった。
しかし、芝浦自転車競技場(芝浦オリンピック自転車競技場・現存せず)の建設が決まったために、幻の東京オリンピックが開催されたとしても、どのみち大宮で自転車競技は幻に終わるものであった。
1949年1月には福岡・小倉に続いて全国2カ所目、東日本では初の競輪が開催された。
「東日本競輪発祥の地」

幻の東京オリンピックと陸上競技場・双輪場建設(日本初の傾斜バンク)
大宮公園の陸上競技場兼双輪場は、幻となった第12回東京オリンピック大会(昭和15年開催予定)のために建設されたものです。
昭和11年8月の東京大会開催決定を受けて、昭和5年に着工されながらも建設が中断されていた陸上競技場の外側に一周500m、最大傾斜40%のバンクを設置するもので、この年の夏から本格的な工事が始められました。
しかしながら、日中事変の影響で昭和13年7月、東京大会の中止が決まりましたが建設は続けられ、昭和14年9月に双輪場が、翌15年6月には陸上競技場が完成しました。双輪場はドイツ自転車連盟の好意で入手したペドローム競走路の設計図に基づく東洋初の近代的な施設でした。
オリンピックに代わり、昭和15年6月6日には「紀元二千六百年記念東亜大会」の自転車競技が、7月20日・21日には、第1回県民体育大会が開・催されました。
また、昭和24年1月15日には東日本初となる第1回大宮競輪も開催されました。
平成17年9月 大宮公園事務所


夜にちかい夕方ですが。




ちなみに、ちかくの大宮公駅前の二郎に赴く途中でした。。。
※2025年11月撮影





