日本の、戦後再起動の歴史を感じる場所。
この界隈に、かつて外務大臣官邸があり、日本国政府とGHQ連合国軍総司令部の間で日本国憲法の草案審議が行われた。それが審議であったか恫喝であったかは別として。
昭和21年(1946)11月3日に公布された日本国憲法は、翌年の昭和22年(1947)5月3日に施行された。
公布に至るまでの紆余曲折の歴史舞台のひとつがこの地であった。
目次
マッカーサー草案・日本国憲法草案
昭和20年8月の終戦以降、日本政府は憲法の改正作業を進めていた。その流れの中でソ連を中心に天皇制の廃止を要求されることに、日本の世情を理解していたGHQは方針を転換し、GHQは総司令部にて憲法草案を起草することを判断した。
そうして、昭和21年2月13日に日本政府に「マッカーサー草案」が提示された。
これは、先立って日本政府が2月8日に提出していた「憲法改正要綱」(松本試案)に対する回答という形で示されたものであった。
「マッカーサー草案」 提示を受けた日本側、松本烝治国務大臣と吉田茂外務大臣、通訳の白洲次郎などは、寝耳に水のマッカーサー草案に驚き、大至急で審議を開始。
2月26日の閣議で、「マッカーサー草案」に基づく日本政府案の起草を決定し、作業を開始した。
そうして、日本国政府は、「憲法改正草案要綱」を発表し、マッカーサーも直ちにこれを支持、了承する声明を発表し、大筋が決まった。
昭和21年4月、幣原内閣が総辞職し、5月22日に第1次吉田内閣が発足。
6月20日、大日本帝国憲法73条の憲法改正手続に従い、憲法改正案を衆議院に提出し可決、次いで貴族院でも可決され、帝国議会における憲法改正手続が完了。
こうして、帝国議会における審議を通過して、10月29日の枢密院本会議で、 昭和天皇臨席の下で「修正帝国憲法改正案」を全会一致で可決した。
同日、 昭和天皇は、憲法改正を裁可。11月3日、日本国憲法が公布された。
日本国憲法草案審議の地
こうした一連の、憲法草案の地を記憶した史跡。
日本国憲法草案審議の地
日本国憲法草案審議の地
この地は、昭和二十一年(1946 年)二月、連合国軍総司令部と、日本国政府との間で、日本国憲法草案について審議された跡地である。
この地には(財)原田積善会の本部があり、戦後に外務大臣官邸として使用されていた。当事者に総司令部側代表としては、民生局長ホイットニー准将、民生局次長ケーティス大佐の両名で、日本側は当時の外務大臣吉田茂と法務大臣松本烝治であった。
八木通商株式会社
六本木麻布台ビル
場所
※撮影:2018年11月