馬門山横須賀海軍墓地墓前祭

令和元年(2019)5月11日

第64回馬門山横須賀海軍墓地墓前祭が、令和元年5月11日、午前9時30分から約1時間にわたり、まるで夏のような日差しが降り注ぐ新緑の墓苑にて開催されました。今回はじめて参列してまいりました。

馬門山久海軍墓地合祀者霊位

祖国のために散華された御英霊を追悼
感謝と哀悼の誠を捧げる


令和元年度(第64回)
馬門山横須賀海軍墓地墓前祭次第

日時 令和元年5月11日(土) 9時30分から10時30分
場所 馬門山横須賀海軍墓地

1開会の言葉
2国歌斉唱
3追悼のことば
4黙とう
5儀仗隊拝礼
6弔銃発射
7献花
8閉会のことば

主催
 大津地区社会福祉協議会
 大津地区連合町内会
 横須賀水交会
 隊友会横須賀支部
 大津観光協会
協力
 海上自衛隊横須賀教育隊
 湘南学院高等学校

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馬門山墓地(旧海軍墓地)

 明治15年(1882)海軍省が戦死や殉職した海軍軍人の埋葬地として開設しました。
 軍艦「河内」「筑波」等の殉職者の碑や上海事変・太平洋戦歿者の忠霊塔などがあり、英霊1592柱(内、独立埋葬者179柱)が祀られています。終戦までは鎮守府により神式と仏式の交互で式典が行われていました。
 現在は毎年5月に墓前祭が行われています。
 昭和26年大蔵省より横須賀市に譲渡され現在は市民墓地もあります。
 馬門山の名の由来は字名か屋号「馬門・まかど」を読み替えたものといわれています。
 園内はソメイヨシノが多く桜の名所となっています。

昭和52年市制施行70周年記念
横須賀市風物百選
「馬門山墓地」

 右手御門内約2万5千平方メートルの丘陵地が市営馬門山墓地です。
 この墓地は、東海鎮守府長官の埋葬地設定要請に基づいて、海軍省が明治15年1月に馬門山海軍墓地と定めたものです。
 以後、昭和20年8月の第2次世界大戦終結までの間、横須賀鎮守府が管理してきました。
 横須賀鎮守府は、横浜にあった東海鎮守府が、明治17年12月に市内の楠ヶ浦(現米海軍基地内)に移されて改称したもので、旧日本海軍の中枢的存在でした。
 昭和3年に定められた「横須賀鎮守府海軍葬儀場規則」によれば、毎総面積は階級によって6段階に分けられており、士官は8尺四方、平は4尺四方となっていました。
 墓地は、地形に従って三段に分けられています。下段、中断は兵たちの墓地で、高さ1mほどの墓石が整然と並んでいます。芝生が敷きつめられた上段には、7基の供養塔と士官たちの墓石が建っています。
 終戦後、市営墓地となると、新たに約4356平方メートルを造成し、墓地をもたない一般市民に提供されました。
 現在、この墓地に眠る御霊は次の通りです。
 海軍関係
  単独埋葬者            279柱
  供養塔
   軍艦河内殉難者の碑       621柱
   軍艦筑波殉難者の碑       152柱
   特務艦関東殉難者の碑      68柱
   北京籠城軍艦愛宕戦死者の碑   5柱
   上海事変死者の碑        59柱
   第4艦隊遭難殉職者の碑      36柱
   支那事変大東亜戦争戦歿者の碑  372柱
  一般市民             305基

墓前祭

来賓 海上自衛隊や県市議会議員や行政関係者など

中央席の最前列は遺族・遺族関係者席
中央2列目以降は町内会や一般参列者など
海上自衛隊の音楽隊
横須賀市長 追悼のことば

国歌斉唱


黙とう
追悼の譜 「国の鎮め」演奏

儀仗隊
儀仗隊

捧げ銃

儀仗隊 捧げ銃

弔銃発射

「命を捨てて」
弔銃のときは、譜の8小節を速度早く、毎発射後直ちに奏する。

弔銃発射

墓前祭、終了は10時20分頃でした。


馬門山海軍墓地の慰霊碑参拝と写真はまた後日。
この日は会場の邪魔にならないように墓前祭の参列のみで。

良き天気の下、馬門山横須賀海軍墓地墓前祭は滞りなく執り行われました。

厳粛な空間の中での、ひととき。
御英霊に感謝と哀悼を捧げることが出来ました。
ありがとうございました。

御供物

横須賀水交会も協力となっております

戦前の水交社。戦後の水交会。 明治9年に海軍省外郭団体として創設した「水交社」は戦後に海軍省と共に消滅したが、昭和27年(1952)...

横須賀水交会

横須賀市