東京大空襲と下町(墨田区北部・押上・東向島)

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東京大空襲と下町。
錦糸町駅と亀戸駅周辺の社寺にある慰霊碑を巡ってみる。

慰霊巡拝を。


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東京大空襲被災の鉄骨と焦木片
(多聞寺)

多聞寺に戦争遺産がいくつかあつめられていた。

東京大空襲で被災した浅草国際劇場の鉄骨
 1945(昭和20)年3月10日未明、アメリカ軍B29爆撃機330機による無差別絨毯爆撃を受け、下町一帯は“炎の夜”と化した。この東京大空襲による下町は壊滅状態に陥り、死者10万人、重傷者11万人、100万人が家を失った。(犠牲者の氏名、正確な人数は現在も不明)
 この元浅草国際劇場の鉄骨(1998年現在、大部分は江戸・東京博物館に展示中)は、東京大空襲を語り継ぐ、数少ない歴史的“証人”である。風船爆弾の工場となっていた浅草国際劇場も直撃団を受け、屋根を支えていた鉄骨は曲がり、ちぎり、天井の大部分が抜け落ち、たくさんの人々が焼死した。目の前の痛ましくひきちぎられた鉄骨に向かって目を閉じてみると、炎の夜の恐怖がよみがえる。
 戦争の実相を伝える“証人たち”に静かに心を傾け、
 不殺生の誓いを新たにしましょう。
  隅田山 多聞寺

戦災の証言者
 パールハーバーから半世紀、終戦から46年目の1991年8月12日、この木は荒川区西日暮里1丁目2番7号(旧、三河島4丁目3420番〜3421番)に新しくビルを建てるための堀削により発見されました。
 東京地域では、1942年4月18日から、1945年8月15日に至るまでに71回の空襲がありました。
 ここに展示されている木は、43回目の1945年4月13日の23時から14日の2時22分にかけての空襲で焼かれた木です。
 当日の投下爆弾は高性能弾81.9t、焼夷弾2037.7tで罹災地域は、西日暮里を含め139ヶ所に及びました。
 戦火で焼け爛れたこの木は、生命の尊さを訴えるとともに、今、平和憲法のもと、再び戦火にまみれる事のない国を作ることを、私たちに求めています。
 1992年10月18日 戦災の木を保存する会

平和観音(多門寺)

平和観音
観自在菩薩の 手に蓮華を執って
一切衆生の身心の中に 本来清浄の理あることを表す
 弘法大師

貪りと瞋りと愚かしさに毒された私たちは、本来の仏さまのいのちに覚め、内なる心の平和と外なる世界の平和を具現し密厳仏国土建設への無尽の願いと誓いをこめて、ここに平和観音を建立し弘法大師御入定千百五十年御遠忌の報恩謝徳の行といたします
 南無大師遍照金剛
  仏紀二千五百五十年春
   墨田山多門寺山主
         檀信徒一同

東京大空襲の犠牲者と平和祈念の観音様。

多門寺。建立は慶長11年(1606年)。
隅田川七福神。

多聞寺山門は、墨田区に残る最古の建造物。
享保3年(1718年)の焼失後に再建。

場所

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戦災クスノキ(第二寺島小学校の戦災樹木)

東武線「東向島駅」近くにある「墨田区立第二寺島小学校」校庭の「くすのき(クスノキ)」。
樹齢400年以上ともいわれる。
墨田区の約7割が焼けた昭和20年3月10日の東京大空襲にも耐えた。

東向島駅の窓から覗くことも可能。

場所

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平和地蔵尊戦災者慰霊之碑と戦災殉難者之精霊供養塔(吾嬬西公園)

吾嬬西公園の一角に平和地蔵尊と慰霊碑ある。
この地は、東京大空襲の犠牲者の仮埋葬地でもあった。

戦災殉難者之精霊供養塔

戦災者慰霊之碑
平和地蔵尊
 昭和三九年十月吉日建設 
  世話人一同

場所

吾嬬西公園


戦災イチョウ(飛木稲荷神社の戦災樹木)

飛木稲荷神社の境内にひときわに存在感があるイチョウ(公孫樹)も戦災樹木であった。

社名の飛木の由来ともなっている御神木のイチョウは樹齢500~600年といわれ墨田区内随一の大木、区の天然記念物に指定されている。
暴風雨によって飛んできた銀杏の枝がこの地に刺さり、いつしか大樹となったそうで。

”身代り” 飛木の焼けイチョウ
名前の由来
昭和二十年 ( 1945年 ) 三月十日の東京大空襲で、ご神木 ( 神霊が宿っているとされる木 ) は、我が身を焦がし、懸命に災をくい止め、町の延焼を防ぎました。
そして幸いにも多くの人達が助かりました。 
ご神木は、戦災という大きな悲劇を乗り越え、数年を経て緑の芽を吹き出しました。
このようにたくましく生き延びた縁起のイチョウです。 今の世にあって、私達に生きる勇気と希望を与えてくれています。 
きっと焼けイチョウは、大変な戦争があったという事を、これから先も伝えてくれることでしょう。
 平成二十二年六月吉日 
  飛木稲荷神社総代一同

黒く焼け焦げた幹の木が、東京大空襲の焼夷弾の火勢を物語っている。

国威宣揚
 昭和八年四月建之

場所

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大東亜戦争殉難者之碑(圓通寺)

前述の飛木稲荷神社の隣に鎮座している圓通寺には、慰霊碑がある。

大東亜戦争殉難者之碑
 昭和二十年三月十日

元吾嬬町西一丁目連合町会長 小野内寿松
               外役員一同
昭和四十三年三月十日建立
              野澤勝治書

境内の仏さまも戦災被害で、焼け焦げてしまった。

場所


言問小学校

昭和11年(1936)に建てられた現役の近代学校建築。
2023年に校舎と講堂が国の登録文化財に指定された。

向島北部にある小学校の現役の近代講堂。鉄骨造陸屋根、大空間を鉄骨トラスで確保する。震災復興の影響を見るリベット留めの太い鉄骨柱は壁の内側に立て、水平に窓を並べるインターナショナルスタイルの平明な外観。校舎と共に白亜の殿堂と呼ばれ親しまれる...
花柳街で栄えた向島にある小学校の現役の近代校舎。鉄筋コンクリート造三階建、大きな窓を並べる外観はいわゆるインターナショナルスタイル。階段から上下階廊下を見通す進歩的な造り。下町に所在するため校庭側に開放的で、街路側の1階昇降口を高窓とする...

場所


安全地蔵(とうきょうスカイツリー駅)

とうきょうスカイツリー駅の近くに「安全地蔵」といわれる地蔵があり、平和祈願の地蔵でもあるというのだが、立体化工事の影響で、どこに祀られているのやらで、所在不明。
駅工事が終わったら、再訪してみましょう。

※撮影:2022年4月及び2024年3月


慰霊碑(牛嶋神社)

牛嶋神社境内に、戦没者を慰霊する碑が建立されている。

慰霊碑
 靖国神社宮司 筑波藤麿 書

建碑ノ言葉
元本所区出身過去戦役事変戦災ニ依リ祖国防衛ノ為メ名誉アル戦病死ヲ遂ゲラレタル諸英霊ニ対シ聊カ御霊ヲ慰メンタメ旧本所区在郷軍人の有志並ニ本趣旨ニ賛同セラレタル同士ト共ニ祖国再建発足十周年ノ記念ノ日ヲ選ビ茲ニ慰霊ノ碑ヲ建ツルモノナリ
 昭和30年8月15日

場所

※撮影:2020年9月


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近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝 ‐日本の近代と慰霊の地を巡りしサイト‐(戦跡紀行ネット)

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