熊谷陸軍飛行学校新田分教場・新田飛行場跡(太田の戦跡散策4)

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「日本の飛行機王」
東洋一の中島飛行機を創業した中島知久平。
そんな中島知久平ゆかりの太田市内に点在する戦跡に足を運んでみました。

本編は、その4です。

日本一にして東洋一の航空機メーカーが戦前の日本にはあった。「中島飛行機」その創業者が、日本の飛行機王と称せられた「中島知久平」であった。 ...
「日本の飛行機王」東洋一の中島飛行機を創業した中島知久平。その出生の地・群馬県新田郡尾島町には、中島知久平の立像と旧宅、墓がある。同じ太田...

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新田飛行場跡(生品飛行場跡)
熊谷陸軍飛行学校新田分教場跡

新田市野倉。
生品のマツの森に1935(昭和10)年、陸軍の飛行場が建設され、昭和13年(1938年)、熊谷陸軍飛行学校新田分教場が開校。
飛行場の大きさは、東西約1850m、南北約1350m、総面積は約249万㎡。
陸軍九五式一型乙練習機が配備され、飛行訓練に活用された。
新田飛行場(生品飛行場)は昭和20年の7月と8月に空襲を受け諸施設が壊滅している。

令和5年(2023年)4月2日。熊谷市の航空自衛隊熊谷基地(航空自衛隊第4術科学校)にて、「令和5年度熊谷基地さくら祭」が開催されましたの...

位置関係

国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-R408-No1-90
昭和22年(1947年)10月29日、米軍撮影の航空写真。

拡大

群馬県は、赤城おろしの空っ風が強く吹き荒れる土地のため、赤城おろしは北西風で、飛行機は向かい風の方向に離着陸をするのが普通のため、生品飛行場をはじめ、周辺の飛行場の滑走路は、いずれも南東から北西に向かって造られている。
そのために、戦後開墾後も、周辺の区画から傾いているのがよくわかる。

ピンの場所が今回のポイント。


新田飛行場跡(生品飛行場跡)鎮碇

着陸訓練用のロープを固定したRC造の鎮碇が残る。
少し離れた鉄塔からワイヤでつられた主翼の無い練習機で鎮碇方向へ滑り降り、練習生は操縦桿を引くタイミングや着陸の感覚をつかんだ着陸訓練用の構造物。

場所

飛行場跡地


陸鷲修練之地

敷地の東端に往時を偲ぶ石碑が建立されている。

少年飛行兵操縦教育校
旧陸軍熊谷飛行学校
陸鷲修練之地
新田教育隊跡地

平成7年8月
終戦50周年記念
元少飛 柳文夫書

場所

※撮影:2024年1月

その5に続く。

「日本の飛行機王」東洋一の中島飛行機を創業した中島知久平。そんな中島知久平ゆかりの太田市内に点在する戦跡に足を運んでみました。 本編...

中島飛行機関連

近代史跡・戦跡紀行~慰霊巡拝 ‐日本の近代と慰霊の地を巡りしサイト‐(戦跡紀行ネット)

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