令和元年8月31日~9月1日
油壺に泊まる機会がありましたので、チャンスとばかりに周辺を散策。
「その3」では油壺湾の南側に位置する諸磯湾方面に向かってみます。
目次
場所
油壺湾を経て諸磯湾に向かう道をくだっていきます。
油壺公園
石碑がありました。
この小網代をスタートして
われらは進んだ、永遠のレースへ
吹きつのる風、おしよせる波
最期まで、力を尽くしてたたかった
あの水平線のかなたは、われらのしとね
海を愛する人々よ、忘れないでくれ
海のきびしさ、海のやさしさ、
そして、海を愛するこのわれわれを
海の安全を祈って
初島・利島ヨットレース 遭難の碑
昭和37年11月3日夜、相模湾で行われたヨットレースで思いがけないことが起こりました。参加した43隻の大型ヨットのうち慶応義塾大学の「ミヤ号」(乗組員4人)と早稲田大学の「早風号」(乗組員6人)が、突然の暴風のために行方不明になり、さらにほかの艇に乗っていた慶應義塾大学の一人も波にさらわれてしまいました。
家族の人や両大学の友人や関係者、海上保安庁、自衛隊、そして、各地の漁協や消防署まで、大勢の人々の創作活動が続けられましたが、ヨットは発見されませんでした・・・
元慶應義塾大学教授 村井実著
小学校5年教科書「ヨットのそうなん」より抜粋
「油壺公園」
谷戸といってよい谷間の平地。このあたりには兵舎があつまり、周辺には海龍格納壕が多数残されているというが、ちょっと緑が多すぎて夏はわからないですね。リベンジが必要。
油壺湾の南、諸磯湾に向かいます。
諸磯湾
海龍格納壕
道路脇に壕がふたつ残されていました
そのまま道なりに西に進んでいきます。
基地連絡用隧道(東西)
海軍が掘ったというトンネル。2本並んだ隧道。真ん中で隣の隧道に接続。H型。隧道の真ん中で隣の隧道へと移動ができる。現在は一本のみ使用。
トンネルを抜けると、小さな造船所。この先は立入禁止。
ここにも海龍格納壕が幾つか残っているという噂。
基地連絡用隧道(南北)
おまけ
今回の記事「その1」「その2」「その3」は時系列はバラバラで掲載でした。令和元年8月31日から9月1日の二日間を利用して周辺を散策。
油壺に、会社で契約しているリゾートマンションがありまして、そこを拠点に散策。ベース基地としてこれはとても有益ですね。
嫁さんに気に入ってもらえたので、また利用したいと思います。
二日目はレンタサイクルを借りました。三浦半島はアップダウンが多くて、これも有益でした。
三崎には古い建物も多く残っていますが、今回は回りきれず。次回散策時まで残っていることを祈りつつ。
〆