清水稲荷神社・鷹番国民学校奉安殿(目黒区)

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目黒区に鎮座するお稲荷様は、なんとなく変わった御社殿。

戦前に「御真影( 天皇陛下と 皇后陛下のお写真)」と「教育勅語(勅語謄本)」を納めていた鉄筋コンクリートの建物=鷹番国民学校奉安殿が、戦後にこの清水稲荷神社の御社殿として再活用された、という。

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奉安殿(御真影奉安殿)

奉安殿とは、戦前において
天皇陛下
皇后陛下
の御真影(お写真)と教育勅語を納めていた建物。
当初は職員室や校長室に奉安所が設けられていたが、被災による危険を防ぐために、金庫型や独立した奉安殿としての建設がはじまった。小型ながらに耐火耐震構造とされてものも多く、威厳を備えた荘厳重厚なデザインの建造物が多い。
戦後、奉安殿は廃止され解体や撤去が行われるが、その頑丈な建造物が戦災で焼失した神社社殿などに再活用もされ、現在に残っている例もある。

清水稲荷神社
(旧鷹番国民学校奉安殿)

清水稲荷神社
 目黒本町1-1

 この稲荷は明治30年(1897)頃から、東急バス駐車場のあたりにあったと言われ、その付近に真夏の旱天でも清水が湧き出していました。この湧き水外なりの社名の源となったと思われます。
 大正12年(1923)の大震災以後、このあたりにも多くの移住希望者があり、地主のさんたちはその要請に応えて、計画的な土地分譲を志摩市yた。土地分譲事業は、この稲荷様を基にし、土地の発展を祈念しました。そのため、京都伏見稲荷より御霊代を拝受し、社殿や鳥居も奉納されました。
 その後、昭和27年(1952)に篠原福太郎氏が39.7㎡(12坪余)の土地を寄進されましたので現在地へ移築されました。また、この年、太田喜八郎氏が鷹番小学校へ寄進したご真影奉安殿を、大へん苦労して移築し拝殿としました。
 この稲荷は、家内安全、商売繁盛、芸能上達などのご利益があるとともに、縁結びの神としても有名で、初午には甘酒が振る舞われ、盛んな祭りが行なわれます。
 平成5年3月
 目黒区教育委員会

鉄筋の分厚い扉。
壁面も赤く塗られているが、基はコンクリート。
奉安殿の特徴を感じることが出来る。

社殿の欄干や階段部分もすべて奉安殿時代からの流用という。

鳥居は大正13年建立。関東大震災の翌年。御由緒にある土地分譲の再開発時期と合致。


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