海軍工機学校(海軍機関学校)跡地散策

平成29年10月及び平成31年3月撮影

海軍工機学校兵舎(横須賀学院2号館)

横須賀は三笠公園の近く。
神奈川歯科大学と横須賀学院の界隈は、かつては「海軍工機学校」(海軍機関学校)であった。

位置関係

USA-M378-25
1947年(昭和22年)07月24日‐米軍撮影を加工
GoogleMap航空写真 現在の様子

海軍工機学校跡(海軍機関学校跡)

神奈川歯科大学及び神奈川歯科大学附属病院
守衛さんの許可を得て、ちょと見学にいってみましょう。

守衛の許可を得て入校しております。

神奈川歯科大学及び神奈川歯科大学附属病院 大学中庭の西側に。

海軍工機学校・軍人勅諭の碑

昭和7年1月4日建立
軍人勅諭下賜50年記念
海軍工機学校長 村田豊太郎謹書(海軍中将)

村田校長は工機校長ののちに横須賀工廠長に任命

誠心
一 軍人は忠節を盡すを本分とすへし
二 軍人は礼儀を正しくすへし
三 軍人は武勇を尚ふへし
四 軍人は信義を重んすへし
五 軍人は質素を旨とすへし
海軍工機学校長 村田豊太郎謹書

海軍工機学校正門門柱及び壁

海軍工機学校 海軍栓

海軍工機学校 煉瓦倉庫

神奈川歯科大学校舎の裏側に。

倉庫の向こう側は、現在は米軍基地。

旧横須賀海軍病院跡
 (米海軍横須賀基地内)

神奈川歯科大学敷地内から、米軍基地方面を望む。フェンスの向こう側にある建物が、かつての「横須賀海軍病院」。現在も米海軍病院として使用されている。

旧横須賀海軍病院 奉安殿跡

横須賀海軍病院の建屋の前には「奉安殿」も残っている。
こちらもフェンス越しに拝見。

奉安殿とは 天皇陛下と皇后陛下の写真(御真影)や教育勅語などを納めていた建物。

前述の「神奈川歯科大学」及び「神奈川歯科大学附属病院」の東隣には「横須賀学院」という小中高一貫の私立学校がある。

横須賀学院
戦前の海軍工機学校(海軍機関学校)跡地に戦後「青山学院横須賀分校」が開校。その後、青山学院は撤退し昭和25年に継承した横須賀学院が当地に設立している。

横須賀学院の守衛さんにお伺いを。
「海軍の学校の碑を見学したい」と申告すると「一般に公開はしてないけど良いよ、授業中だから気をつけてね。碑の場所は・・・」と気さくに碑の場所を教えていただきました。
ありがとうございます。ちょっと見学に行ってみましょう。

海軍機関学校跡碑

横須賀学院(許可を得て入校)
碑には正面写真と碑文を刻んだ銅板が貼付されている。

海軍機関学校跡
記念碑建立の由来
海軍機関学校の沿革は明治2年に遡るのであるが、明治34年9月1日白浜校舎が現在地に落成し日夜機関生徒の訓育に当り、その後大正12年9月1日関東大震災により校舎を全焼し江田島に移転する迄の22年間延1,324名の卒業生を送り機関科将校揺籃の地として寔に意義深く記念すべき場所であるので、当横須賀学院の御厚意と同窓生諸賢の熱意によって校跡を後世に遺したく旧校庭の一角にこの記念碑を建立した次第である。
昭和43年6月3日建之

「海軍工機学校・海軍機関学校跡」
(横須賀学院・許可を得て校内立ち入り)

学校跡碑のある場所のうしろの建物(横須賀学院2号館)が、実はかつての工機学校兵舎。昭和13年頃の建設とされている。

生徒たちの邪魔をしないように撮影してサクッと退散。

学校内は、なかなか立ち入るのに緊張しますね。
次はフェンスの向こうの米軍敷地内が気になります。