陸軍経理学校の跡地散策(小平)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

かつて陸軍経理学校が小平市内にあった。わずかに残る痕跡を散策してみる。


スポンサーリンク

陸軍経理学校

陸軍における経理を担当する軍人(経理官)の養成教育、あるいは経理官への上級教育を行っていた陸軍学校。教育に限らず陸軍経理に関する調査と研究なども行っていた。陸軍経理とは会計だけに限らず、監査、被服、糧秣、建築も職務に含まれていた。

明治19年(1886)に陸軍軍吏学舎が設置されたことに始まる。
明治23年(1890)に陸軍軍吏学舎を廃止、陸軍経理学校を開校。
明治33年(1900)に「陸軍経理学校本校」を東京市牛込区河田町に移転。陸軍士官学校の「市谷台」に対して、陸軍経理学校は「若松台」の愛称で呼称されることとなる。
昭和17年(1942)3月、陸軍経理学校は戦争による生徒、学生、幹部候補生等の人員増加のため、東京府北多摩郡小平村に移転。昭和20年8月の敗戦により閉校。

関東管区警察学校の正門は、かつての陸軍経理学校の正門跡。

位置関係

国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-R556-No1-36
昭和22年(1947)11月14日、米軍撮影の航空写真

陸軍経理学校部分を拡大

グーグル航空写真での同位置。

陸軍経理学校跡は大きく4つに分割された。
北西 陸上自衛隊小平駐屯地
南西 国土交通大学校
南部 関東管区警察学校
東部 小平団地


陸軍経理学校跡地散策

西武鉄道多摩湖線の一橋学園駅の南東が、かつての陸軍経理学校の跡地。
線路と敷地の間にある道路は「国交大通り」。そのまま南下する。

南西の角には、全国建設研修センターがある。
ひときわ大きな桜は「明倫桜」という。

明倫桜

秋月藩の学問所明倫堂跡に残る桜。

明倫桜の下にはレンガ積みがある。

それなりに古そうな感じもあるが、当時のレンガかどうかは不詳。


陸軍境界石(陸軍経理学校)

喜平町みどり公園の入口にたつ陸軍標石。

陸軍境界石
 正面に「陸軍」の二文字が刻まれています。ここには太平洋戦争末期に陸軍経理学校が作られ、その敷地の境界を示すために建てられました。
 もともと現在より5メートルほど南にありましたが、歩道の改修に伴い移設されました。

周辺の歩道には、陸軍境界石と思われる標石が埋もれて点在している。

このあたりの側溝は、当時の境界だろうか?

そろそろ正門が近づいてくる。


陸軍経理学校の正門跡

現在は、関東管区警察学校。
陸軍経理学校時代の門柱が、そのまま活用されている。

陸軍管区警察学校の標識は横に掲げられている。
よくよく見れば、縦位置には埋めたような跡がある。
往時は縦標識で「陸軍経理学校」と掲げられていたことであろう。

そのまま東に歩みをすすめる。

あかしあ通りの銀杏並木

現在は、警察学校と団地の間を縦断する道路「あかしあ通り」。
銀杏並木は経理学校の生徒が卒業記念に植樹したものという。

標石っぽいものが埋もれている。ここから先は小平団地。

陸軍経理学校の南東端から北東端まで歩みをすすめる。
「警察学校北通り」に到達したら、ここからは西に向けて歩く。

陸上自衛隊小平学校
陸上自衛隊小平駐屯地

陸軍経理学校の北西部分は、現在は陸自の施設となっている。

そのまま歩けば、西武線に突き当たる。
陸軍経理学校の跡地を一周歩いた、ことになる。

西武鉄道。
昭和15年に、多摩湖鉄道は武蔵野鉄道へ合併している。

一橋学園駅。
戦前は現在地には開業しておらず、北側に「小平学園駅」が昭和8年に開業していた。
「小平学園駅」と南にあった「一橋大学駅」を統合して「一橋学園駅」が昭和41年に統合し現在の駅名となっている。

だいたい、約3キロ周回の散策、でした。

※撮影は2021年8月


陸軍経理学校の校内神社「若松神社」

2024年3月24日に、小平駐屯地一般開放(観桜一般開放)がありましたので、足を運んでみました。 陸軍経理学校 陸軍に...


関連

陸軍経理学校生徒隊慰霊碑

若者たちが集う街、表参道。表参道の交差点には1対の石灯籠があり、そこから明治神宮にかけてケヤキ並木となっている。明治神宮とともに整備された...

磯部浅一は、経理学校出身だった。(もちろん小平に移転する前に卒業しているが)

南千住回向院(小塚原回向院)慶安4年(1651)に小塚原刑場での刑死者を供養するために建立された南千住の回向院。安政の大獄で刑死した橋本左...

海軍経理学校

平成29年5月撮影 ※現在は築地再開発により現地状況変わっております。 近代海軍発祥の地「築地」散策。 そのほか魚河岸水神社・波除神...
スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加