武蔵村山の戦跡散策(高射砲第七聯隊跡地)

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武蔵村山市の南東部は、陸軍関連の戦跡が点在している。
以前に、「東航」(東京陸軍少年飛行兵学校)の戦跡散策を行った。
今回は、ちょっと北側のエリアを散策。

平成29年撮影 武蔵砂川駅と玉川上水駅の間。武蔵村山市大南地区。当時このあたりに「東航」があった。 東...

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高射砲第七聯隊
東部第七十八部隊
所沢陸軍航空整備学校立川教育隊

多摩地区の軍事施設は、大正11年(1922)に開設された陸軍第五飛行大隊 (後、陸軍飛行第五連隊)が、立川陸軍飛行場に駐屯したことに始まる。

平成29年4-5月ほか 陸軍航空工廠の碑 立川陸軍飛行場 大正11年(1922)に帝都防衛構想の陸軍航空部隊...
令和元年11月9日 立川駐屯地の一般公開に合わせて見学をしてきました。旧軍や戦跡に関することを中心に記載を。 立川の戦跡として...

その後、立川陸軍飛行場周辺には、所沢から陸軍航空本部技術部が移転し、立川飛行機が設立された。

立飛ホールディングスの前身、立川飛行機が制作した飛行機が、里帰りし、一般公開された。その様子を写真中心に以下に掲載。写真多めですが、それだ...

昭和7年(1932)には、現在の武蔵村山市内の大南地区に大規模な陸軍飛行第五連隊の射爆場が完成。

昭和13年(1938)には、陸軍飛行第五連隊が千葉県柏(陸軍柏飛行場)に移動し、立川陸軍飛行場には実戦部隊がいなくなった。

昭和13年(1938) 8月 、第五連隊移転により空地 となった射爆場に、「東航」東京陸軍航空学校校舎が完成。武蔵村山の地で少年飛行兵の基礎訓練が開始となった。

昭和15年(1940)には、立川飛行場の付属施設として陸軍多摩飛行場が建設。(現在の横田基地)
同じ年に、東京陸軍航空学校の北に、陸軍東部第七十八部隊(高射砲第七聯隊)が駐屯。陸軍東部第七十八部隊の西隣には、近衛師団司令部直轄の二等陸軍病院として、村山陸軍病院が開設された。

昭和18年3月には陸軍少年飛行兵学校令の公布により、東京陸軍航空学校は東京陸軍少年飛行兵学校へ改称された。
昭和18年10月、戦局悪化の中、陸軍東部第七十八部隊は解隊され、その跡地に所沢陸軍航空整備学校立川教育隊が開設された。


高射砲第七聯隊跡地散策

武蔵村山市の南東に点在する戦跡を散策。
武蔵村山市が制定した歴史散策コースに基づいて散策を開始。

武蔵村山市>歴史散策コース(南東コース)

歴史散策コース(南東コース)地図

https://www.city.musashimurayama.lg.jp/res/projects/default_project/_page/001/012/519/map_nantou.pdf

高射砲第七連隊(東部第七十八部隊)
陣営地土塁

高射砲第七連隊(東部第七十八部隊)陣営地境界の土塁は、陣営地の周囲に築かれ、その断面からは、もともと東南への傾斜地であった敷地を平らにならした状況が確認できます。また、土塁が残るさいかち公園付近には、射撃場や土塁とは別に10メートルほど高い土手に囲まれた火薬庫(弾薬庫)が設置されていました。

土塁が僅かに残っている。

さいかち公園には、火薬庫が設置されていたという。

陸軍用地であったこの場所は、戦後は武蔵村山市立第五小学校の校庭であったが、平成10年(1998年)に閉校となり公園化された。

場所


高射砲第七連隊(東部第七十八部隊)
鉄塔基礎跡

高射砲第七連隊(東部第七十八部隊)陣営地内に設置されていた、4本あった鉄塔の跡地のひとつ。敷地中央に建てられた高さ30メートルの鉄塔4本にはワイヤーが張られ、模型飛行機を吊るして高射砲の照準訓練が行われていました。

雷塚公園

土盛りがある。これが、訓練鉄塔の盛土跡。
公園の奥、なんかそれっぽい土盛がある。

案内の杭がたっていた。無かったらわからないですね。

盛り土の上に、基礎?があった。

場所


高射砲第七連隊(東部第七十八部隊)
正門跡

高射砲第七連隊(東部第七十八部隊)は、昭和14年(1939)に部隊を新設され、翌年には村山村(学園地区)の陣営地へ兵舎や営庭のほか、トラックの運転練習場などが設置されました。
その後、昭和18年(1943)5月に高射砲第七連隊は解体され、この陣営地は同年9月に少年飛行兵短期制度(乙種制度)を行う所沢陸軍航空整備学校立川教育隊の教育訓練施設として転用されました。

村山医療センターの西側、学南通りと大学通りのT字交差点に、高射砲第七連隊(東部第七十八部隊)の正門があった。

場所

〒208-0011 東京都武蔵村山市学園2丁目

村山陸軍病院正門跡

昭和16年(1941)4月に近衛師団隷下の病院として開設。外科棟・内科棟・手術棟・伝染病棟が設置され、隣接する高射砲第七連隊(東部第七十八部隊)、所沢陸軍航空整備学校立川教育隊や東京陸軍航空学校(東京陸軍少年飛行兵学校)、そのほか陸軍航空整備学校第二教育隊(立川陸軍航空整備学校(福生市))、東京陸軍少年通信兵学校(東村山市)などの傷病兵を収容しました。

現在の東京経済大学武蔵村山キャンパスのグランドが、かつての村山陸軍病院、であった。

村山陸軍病院の正門のある道路の突き当りが、高射砲第七連隊(東部第七十八部隊)の正門であった。

場所


江戸街道

江戸と青梅を結んでいた街道。青梅街道とも。当時、陸軍用地として敷地拡大した際に、江戸街道が寸断された、と。

市内を東西に通る江戸街道は、昭和20年(1945)に軍備拡張のため所沢陸軍航空整備学校立川教育隊の敷地を拡張した際に街道の一部が寸断されましが、戦況悪化によって敷地は穀物の栽培地として転用されました。
戦後、拡張された敷地は農地改革で農家へ払い下げられ、昭和42年(1967)にもとの街道筋へと整備されました。

場所

〒208-0011 東京都武蔵村山市学園4丁目 村山医療センター南

位置関係

米軍撮影国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-R556-No1-74
昭和22年(1947年)11月14日、米軍撮影の航空写真を一部文字入れ加工。


以下は、東京陸軍航空学校の話題になるので、前述の「東京陸軍少年飛行兵学校跡地散策」 記事を参照に。

東京陸軍航空学校練兵場跡地

東京陸軍航空学校(東京陸軍少年飛行兵学校)は、少年航空兵(少年飛行兵)へ1年間の基礎教育を行う施設で、普通学(国語作文・数学・歴史・理科・図画・英語(後に廃止))と軍事学を学び、教練・体操(フープ体操・マット体操・デンマーク体操)・剣術訓練を行っていました。また練兵場では、エンジンやプロペラといった動力装置が搭載されていない初歩操縦用グライダーを使用した訓練も行われていました。

そのまま南に歩けば、「東航」の地となる。
東航に関しては、以前のレポートでも触れていたので、かんたんに。

場所


東京陸軍航空学校西通用門跡

東京陸軍航空学校は、村山村(大南地区)にあった立川小爆撃場地を転用して昭和13年(1938)に開設され、昭和18年(1943)に「東京陸軍少年飛行兵学校」と改称されました。敷地内には生徒舎や生徒自習室をはじめ、各分野の学科講堂、剣道場、練兵場などが設置され、南にある正門のほか、北に4カ所と東西に1カ所ずつ通用門が設置されていました。終戦後、学校施設の解体に伴い、正門や通用門も同時に解体されましたが、東通用門の門柱は市内にある禅昌寺(西2コース)境内に移設されています。

東航の西側通用門。このさきの住宅地の中に、歴史民俗資料館分館もある。揺籃之地碑や正門跡もある。

場所


揺籃之地碑

昭和38年(1963)、東京陸軍航空学校(東京陸軍少年飛行兵学校)跡地の一角に陸軍少年飛行兵戦没者慰霊碑が建てられましたが、平成2年(1990)に周囲の宅地開発によって慰霊碑は禅昌寺へと移されました。同年10月、その跡地へ揺籃之地碑が建てられました。
平成19年(2007)7月に、市内に軍事施設が存在したことを後世へ伝えるため、東航正門跡碑とともに市の旧跡に指定されています。

https://www.city.musashimurayama.lg.jp/kankou/spots/rekishiminzoku/1001937/1012519.html

場所


東航正門跡碑

東京陸軍航空学校(略称:東航。後の東京陸軍少年飛行兵学校)が開校し、第6期生から20期生までの18,000余名の生徒が少年航空兵(少年飛行兵)の基礎教育訓練を受けました。基礎教育訓練を終えた1年後には上級教育(操縦・整備・通信)学校へ進学し、その後陸軍兵士となった生徒の約4,500名が戦争の犠牲となったことを後世へ伝えるため、平成11年(1999)4月に建てられました。

平成19年(2007)7月に、市内に軍事施設が存在したことを後世へ伝えるため、揺籃之地碑とともに市の旧跡に指定されています。

https://www.city.musashimurayama.lg.jp/kankou/spots/rekishiminzoku/1001937/1012519.html

場所

この日は、玉川上水駅から東大和南公園を経由して、そこからぐるっと武蔵村山市を経て、玉川上水駅に戻るコースを歩きました。ざっくり8.5キロで1時間45分。

東大和南公園では、2階部分も見学できるようになった日立航空機立川変電所の見学をしたわけですが、それはまた別記事にて。(以前の見学はこちら

※撮影は2021年12月


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