2024年1月に宇都宮周辺を散策してみました。
本記事は、「その2」です。「その1」はこちら。
目次
旧陸軍地下司令部跡
八幡山公園。宇都宮駅から徒歩で30分くらいの道のり。
そういえば、むかしむかし、2002年に、八幡山公園の南側に鎮座する「蒲生神社(蒲生君平は「寛政の三奇人」として高山彦九郎、林子平とともに名を連ねる人物。天皇陵の探査修復をした「山陵志」で知られている。)」に訪れていた。
その時の私は、全国の神社に夢中だった頃で、戦跡等は興味がなかった年頃(20代前半のころですね)でした。
約20年後に、全く違う目的で、同じような場所に訪れるというのが、奇縁でもあり。
そんなことを思いながら、八幡山まで歩く。
ありました。穴が。
宇都宮には、第14師団の司令部がありました。
旧陸軍地下司令部跡
太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、陸軍は空襲と本土決戦に備え、この地に地下司令部を建設していました。6月中旬から約2ヶ月間で、総延長721mにおよぶ横穴を掘り上げました。完成前に終戦となり、実際に使用されることはありませんでした、戦争の悲惨さと平和の大切さを語り継ぐものとして、現在もその姿を留めています。
地下壕は、機密保持のため宇都宮師管区の東部36・37・38・42部隊に属する隊員約250人が秘密裏に工事を進めた。
作業隊は11個小隊に分けられ、各々が1か所ずつ出入り口の建設を担当した。
司令部の壕は、「Aライン」から「Jライン」まで10本の壕で構成され、八幡山公園地下を南北に貫く最も長いAラインは364.6 mに及ぶ。他のラインはすべてAラインに接続しており、最も長いCラインが49.6 m、最も短いFラインは25.0 mという。
八幡山公園のアドベンチャーUや交通公園など、北東部に地下壕がある。
入口のつくり
入口を頑丈にするために、支保工(柱や梁で壁や天井を支えるしくみ)が施されていました。
壁のくぼみは柱の跡です。
ひょうたん池のむこうに開口部が見える。
入口は2箇所確認でできた。
もう一箇所は、少し南に、ちょっと高い場所に。
南北に連なる開口部の最南部。
一般公開ある時に、また期待ですね。(あるのかな?)
八幡山公園
宇都宮二荒山神社の鎮座する明神山の北に連なる八幡山。
1927年に宇都宮市立八幡山公園として開園。
戦時中は、現在のアドベンチャーUの場所(地下壕の地上部分)は対空高射砲陣地で、何基も設置されていたという。
位置関係
国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-R389-192
昭和22年(1947年)10月25日、米軍撮影の航空写真。
一部加工
主要拠点は下記となる。
- 第14師団司令部:独立行政法人国立病院機構栃木医療センター
- 歩兵第28旅団司令部:独立行政法人国立病院機構栃木医療センター
- 宇都宮衛戍病院:独立行政法人国立病院機構栃木医療センター
- 歩兵第59聯隊:若草1丁目・とちぎ福祉プラザほか
- 歩兵第66聯隊:若草2丁目・栃木県警察学校・宇都宮中央高等学校ほか
- 貯水池:宇都宮市水道局戸祭配水場
- 宇都宮偕行社:桜美公園
- 師団長官庁舎:宇都宮地方合同庁舎
- 輜重兵第14大隊:作新学院高等部
- 騎兵第18聯隊:作新学院中等部
- 糧秣倉庫:フードオアシス オータ二 一の沢店
- 野砲第20聯隊:宇都宮短期大学附属中学・高等学校 睦町キャンパスほか
- 兵器支廠:栃木県中央公園
国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-R389-193_19471025
1947年10月25日に米軍が撮影した航空写真を加工。
軍事施設の位置関係を落とし込み。
現在の様子。
国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-R518-105_19490107_1
1949年1月7日に米軍が撮影した航空写真を加工。
司令部周辺を拡大。
同じく現在の位置関係。
※2024年1月撮影
「その3」、へ続きます。