静岡県三島市。
町おこしで軍隊の誘致を実施し、陸軍の街となった「軍都・三島」。
現在も、往時を物語るものが残っていると聞き、散策してみました。
本編は「その2」となります。
「その1」はこちらから。
目次
三島陸軍墓地
かつて川原ケ谷と呼ばれた地であり、古くは源頼朝が三嶋大社へ参詣する際には、三島から川原ケ谷付近を通って芦ノ湖畔に出る箱根路を往来したと言われている場所。
「川原ケ谷城」という中世城址と、頼朝にもゆかりのある「願成寺」のちかくに、近代には「陸軍墓地」が設けられていた。
三島陸軍墓地の入口。
表札のある部分は、えぐられている。
空き地であった隣に、新築住宅ができた。
この草むらに陸軍境界標があるらしいがあるのかないのか確認できず。
消失した可能性が大。
陸軍境界標石
1つ目。
陸軍用地
陸軍境界標石
2つ目。
陸軍境界標石
3つ目。
西側の敷地。埋もれている。
三島陸軍墓地跡。
1週間後に再訪したら、草刈りされていました。
(三島が一回で終わらなかったので、短期間に2回訪れたという)
忠魂碑
野戦重砲兵第21大隊戦没者慰霊
平和の碑
御製
碑文
我らは戦争の悲惨を身をもって体験した者として二度と戦争を繰り返す事のないよう訴え、日本の繁栄と、世界の恒久的平和を祈念する。
従って、我等が最後の傷痍軍人であり、又その妻であることを願望して、その名をここに残す。
昭和55年10月吉日
三島市傷痍軍人会
同 妻の会 建立
子どもでも読めるように、丁寧にルビが振ってあります。
平和への道標
ここ城山墓地に祀られている方々は、皆さんの美しい故郷の山や河を守り、日本の平和と豊かな暮らしを願いながら、長い戦争の中で亡くなられました。
今日の平和を思うとき、私たちは、ここに眠る方々を決して忘れません。この尊い御霊の心を受け継いで、感謝の心を持って二度と戦争のない平和な国をめざして、一日一日を大切に暮らしましょう。
平成30年11月吉日
三島市遺族会
墓標はない。
ここにまつられていた戦士たちの暮鐘がどうなってしまったかは不詳…
陸軍墓地の境界柵の跡。
道路を挟んで、古刹「願成寺」。
場所(三島陸軍墓地跡)
三島憲兵分所跡(三島商工会議所)
三島商工会議所の裏に、陸軍境界標石(陸軍境界標柱)が残っている。かつてこのあたりに、憲兵隊司令部三島分隊が駐留していたという。
場所:
うなぎがいた、三島のうなぎ。
三島
三島といえば、三嶋大社。
伊豆国一宮。延喜式内名神大社。旧社格は官幣大社。
戦争中も被災せずに、神域を保っている。
社殿は慶応2年(1866)の造営、国重要文化財。
水の都、三島。あっちこっちで湧き水。
撮影:2023年6月