花巻の戦跡散策

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岩手県花巻市。宮沢賢治の生誕の地、イーハトーブとして有名な街。
どこか牧歌的なイメージを抱く花巻にも戦跡が残っているので、足を運んでみました。


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花巻防空監視哨聴音壕跡

花巻には、珍しい円筒形の壕の形で「防空監視哨聴音壕」が残っている。

防空監視哨は、敵機の来襲をいち早く感知するためのもの。
高台から双眼鏡で監視する防空監視とは違い、「聴音壕」は、円筒形の壕の中に人が入り、飛行機の接近する音を聞き分ける壕となる。
花巻防空監視哨の、聴音壕は直径3.5m、高さ3.17mのレンガ積みで、内部の深さは約2mの空洞になっている。上空から見て軍の施設と分からないように、当時の壕のまわりは盛土され、かやぶき屋根がかけられていたという。
聴音壕の西側には平屋建て18坪(約60m2)の管理棟もあった。
円筒形の聴音壕の形状がほぼ完全な形で残っているものは珍しく、貴重な戦跡。

内部の様子が看板の写真に掲載されている。

住宅地の中に、ある。

円筒状の様子がわかる。

ぱっと見は、レンガの筒。

場所

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聴音壕関連

山梨県大月市の防空監視哨聴音壕

2022年8月に大月から富士急で河口湖に赴いていました。河口湖飛行館に行きたかったので。 そのときに大月の防空監視哨跡に...

花巻空襲

昭和20年8月10日に、アメリカ海軍の航空母艦ハンコックの艦載機22機(SB2C爆撃機12機とF6F戦闘機10機)により、500ポンド爆弾等が20発以上投下された空襲。
花巻駅や、その周辺の建物が破壊された。焼失家屋673戸、倒壊家屋61戸、死者42名、負者約150名。岩手県内では2番目に大きな戦争被害となった。花巻町内豊沢町にあった宮沢賢治の生家も焼失、花巻に疎開していた高村光太郎も被災した。
ちなみに岩手県内で最大の戦争被害は「釜石艦砲射撃」であった。(2回の艦砲射撃での死者714名)


花川橋に残る花巻空襲の痕跡

花巻空襲の戦跡として。
「花川橋」に残る花巻空襲の爆撃跡。花川橋の改修工事で、痕跡は消失の危機にあったが、寸前のところで保存となり、痕跡を残した状態での改修となった。
花川橋は昭和9年に造営された鉄筋コンクリ-ト製の橋。花巻空襲では、花川橋周辺にも500ポンド爆弾が投下され、爆弾の破片が橋の欄干にあたり、一部を破損している状況。

昭和9年12月竣工の花川橋

花巻空襲の爆撃痕、上部

花巻空襲の爆撃痕、下部

鉄筋が剥きだしている。

爆撃痕のある一部分だけ、補修されずに残った。

場所

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花巻駅

2013年(平成25年)から2014年にかけてリニューアルした駅舎。
1890年(明治23年)開業、1950年(昭和25年)改築。

花巻駅も花巻空襲で大きな被害を受けた。


やすらぎの像

花巻駅の東口ロータリーの東端にある花巻空襲の犠牲者を慰霊する像。

合掌。

やすらぎの像
 昭和二十年八月、太平洋戦争の終戦間際、花巻市内が空襲を受けましたが、特に、この花巻駅周辺の空襲は激しく、死者負傷者多数を数えたほか、建物等にも甚大な被害を受けたのであります。
 爾来、多くの方々の不屈の精神と心血を注ぐ努力により、焦土と化した花巻駅周辺をはじめとする市街地も見事に復興整備をみたところです。
 都市基盤の整備が進む今日、市民から平和祈念の像の建設の話が持ち上がり、建設促進会議が中心となって広く市民に呼びかけたところ、壱千弐百万円を超す浄財が寄せられました。
 ここに、戦後五十年を迎え、花巻空襲の激しかったこの地に、恒久平和を願い「やすらぎの像」を建立するものです。
  平成七年三月建立
   花巻市長 吉田 功

昭和20年(1945年)8月10日ひる
来襲 米軍艦載機グラマン15機
投下爆弾 20個(推定)
機銃掃射 各所
死者 42名
負傷者 約150名
焼失家屋 673戸
倒壊家屋 61戸
 資料 花巻市中央公民館発行
    「忘れまいあの日」より

「やすらぎの像」建立について
市老連会長佐藤通郎氏が中心となり次の団体の努力を得て建立しました。
 花巻空襲に基づく平和祈念の像建設促進会議
 花巻市老人クラブ連合会
 花巻市地域婦人団体協議会
 花巻市区長会
  原像作成 池田次男
  制作   岩手製鉄株式会社

場所

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近代史として。

花巻電鉄デハ3(材木町公園)

なんとなく歩いていたら、公園に花巻電鉄の車両が保存されていた。
花巻電鉄デハ3。
1931年製造。
細長い車両は、通称「馬面電車」「ハーモニカ電車」といわれていた。
昭和47年(1972)鉄道・軌道線廃止。

旧花巻町役場 庁舎(花巻市民の家)

花巻町が設置される前年の1928年 (昭和3年) に竣工した総ヒノキ造、瓦葺きの建物。
当初は花巻市花城町にあった。
1954年に町から市に移行した後は議事堂といても利用され、庁舎が新築された1970年に解体され、現在の材木町公園に移築された。

場所(材木町公園)

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※撮影:2023年8月


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