零式艦上戦闘機と九六式陸上攻撃機のプロペラを祀る「零戦堂」(日光今市)

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JR今市駅のちかくに、プロペラを祀るお堂があるという。
けっこう気になっていたので、行ってみることにした。


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零戦堂

なんでも日光名産の「けっこう漬」の創始者は、かつて日本海軍に所属していたらしく、戦後にお店の敷地内にお堂を立てて、往時の同僚を慰霊したことにはじまるという。
創業者の福田義雄は、予科練、土浦海軍航空隊を経て鹿島海軍航空隊へ入隊し、特攻隊に志願。戦友が沖縄の海に散華するなかで、生還。
戦後は国鉄の機関車乗りを経て、地元の老舗醤油会社で営業をし、雜貨店を足がかりに、近隣農家で栽培された野菜を漬物にして販売することを決断。
故事にいう「日光を見ずしてけっこうと云うなかれ」から、社名は「けっこう漬本舗」となったという。

九六陸攻のプロペラは、マーシャル諸島のメジロ島沖合で現地人によって引き揚げられた。昭和61年に気仙沼の漁船によって日本に帰還し、ここに鎮座、多数の弾痕がある。
零戦のプロペラは、昭和57年に横浜沖で底引き網にかかり、柴漁港に引き揚げられたものを、ここに鎮座。

鎮魂
前席のプロペラ。太平洋戦争の激戦地マーシャル諸島のメジロ島沖合より原住民により引上げられた旧海軍九六式陸上攻撃機プロペラ。宮城県気仙沼市第一一〇卓昌丸石崎漁労長により昭和六十一年七月二十日この社に鎮座、無数の弾痕あり。
後席のプロペラ。零戦(零式艦上戦闘機)。横浜市金沢区柴町二四二綱元宍倉弥一氏の底引網により昭和五十七年六月二十一日午后一時横浜沖合にて収納される。海中にあること三十七、八年祖国の繁栄と幸せを願い信じて、太平洋戦争に散華した若鷲の魂が、このプロペラに宿されて、今ここに同じ人類の戦いのはかなくむなしさを呼びかけている。
 昭和六十三年十一月吉日
  日光けっこう漬本舗代表 福田義雄建之

鎮魂由緒書とは異なり、現在は、以下の鎮座配置となっている。
手前は、零式艦上戦闘機のプロペラ
奥は、九六式陸上攻撃機のプロペラ 

零戦堂

プロペラの依代として、勇士を祀る慰霊のお堂。

無数の弾痕。九六式陸攻のプロペラ。

手前は、零戦のプロペラ。

五省
五省は昭和7年、当時の海軍兵学校長 松下 元 少将が創始したもの。

一、至誠に 悖る なかりしか
一、言行に 恥づる なかりしか
一、氣力に 缺くる なかりしか
一、努力に 憾み なかりしか
一、不精に 亘る なかりしか

お堂のとなり。
これはなんだろう。。。


けっこう漬今市インター店(日光けっこう漬の直売店)

零戦道は、日光けっこう漬の直売店の敷地内にある。
手打ちそばも名物らしい。

残念ながら、私は朝8時前に訪問のため、お店は開店前。

帰路に宇都宮駅内の売店で売っていたので、買いました!!
たまり醤油にワイン、ハチミツを加えたタレで漬け込んだお漬物。
これは美味しいですね!!お酒のおともになりました。

場所

※撮影:2023年9月


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