2023年11月25日(土)。
陸上自衛隊 松戸駐屯地で、創立71周年記念行事が行われ、駐屯地一般開放がありましたので、足を運んで見ました。
本編は、その1として「松戸飛行場跡」の散策を。
目次
逓信省航空局・松戸飛行場(松戸高等航空機乗員養成所)
1940年(昭和15年)6月3日。逓信省航空局松戸飛行場が竣工し、松戸飛行場を使用する中央航空機乗員養成所が開所。民間操縦士や整備員を養成する目的で設立されたが、帝都防空のための飛行場として陸軍が建設当初から関与し、養成所所長も陸軍少将が務めていた。
なお、逓信省松戸中央航空機乗員養成所は、後に高等航空機乗員養成所と改称している。
昭和19年(昭和19年)には陸軍第一〇飛行師団指揮下の「飛行第五十三戦隊」が所沢から移り、首都防衛の任務に当たった。
松飛台(飛行場跡)
松戸市観光協会(https://www.matsudo-kankou.jp/sightseeing/%E6%9D%BE%E9%A3%9B%E5%8F%B0%EF%BC%88%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%A0%B4%E8%B7%A1%EF%BC%89/)
戦時中パイロット養成が目的の「松戸飛行場」がここにあった
昭和15年(1940)、この一帯に総面積132万3000㎡、東西・南北1.2kmづつのL字形滑走路を持つ逓信省航空局、松戸飛行場中央航空機乗員養成所が完成しました。飛行場は民間パイロット養成を目的としましたが、軍人が所長ほか要職を占めており緊急時には軍事基地に転用されるものでした。戦時下では帝都防空を担う陸軍飛行場として機能しました。戦後は主要施設が陸上自衛隊に使用されています。付近は1960年代から工業団地として造成されますが、松戸飛行場の名を「松飛台」という地名に残すこととなりました。
松戸駐屯地
戦後は、警察予備隊・保安隊の補給処を経て昭和29年の陸上自衛隊発足に伴い「陸上自衛隊需品補給処」となる。
現在は、需品学校、需品教導隊、関東補給処松戸支処、第2高射特科群が駐屯している。
松戸駐屯地司令は、陸上自衛隊需品学校長が兼務している。
位置関係
国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:892-C2B-153
昭和19年(1944年)9月24日、日本陸軍撮影の航空写真を一部加工。
松戸飛行場を拡大
滑走路地区は逆L字。西は八柱霊園。
本部地区を拡大
大きな格納庫があるのがわかる。
松戸飛行場時代の格納庫
昭和15年(1940)竣工の格納庫。
現在は、陸上自衛隊松戸駐屯地の倉庫として活用されている。
滑走路側(西側)
東側
北側
南側
内部
覗いてみた。
大型倉庫(戦後)
こちらは戦後と思われる格納倉庫。
ハンドサイレン(手動警報機)
なんかあった。手回しのサイレン、ですね。
木造建屋(戦後?移築??)
木造の建屋がいくつかある。この場所は、格納庫と滑走路の間になるので、往時の建屋ではないんですけど、移築なら、往時の可能性もある、、、
格納庫の西側。
松戸飛行場時代の木造建屋(格納庫東側)
格納庫の東側。往時から現存する木造建屋。
4つの建屋のうち、2棟が木造建屋。
こちらは戦後かな。木造建屋と並ぶコンクリの建屋。
こっちはさらに東側。これも戦後。
門柱跡
門柱跡。ちょっと不自然な場所に。往時のものかどうかも??
松戸飛行場時代の木造建屋(線路側)
松戸飛行場跡の木造建屋。線路際の2棟も、往時からの建屋。
すぐ裏を新京成が走る。もともとは鉄道連隊の線路でもある。
正門近く。
松戸飛行場時代の木造建屋(南側)
南側にある木造建屋。これも往時からの建屋。
独特なデザインの門柱。
同じく南側の建屋。
車両整備工場
駐屯地を横切る踏切
南側の踏切近く。今も昔も位置関係は変わっていない。
線路の東側にも大型倉庫がある。ただし、これも戦後かな。
駐屯地の東西を線路が貫いている。もともとは、鉄道連隊の線路。
松戸駐屯地を新京成が走り抜ける。
戦後の倉庫かな?
滑走路跡は、グランドに。
西門
松飛台の住宅地。かつては滑走路が広がっていた。
※撮影:2023年11月
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