神奈川県綾瀬市。海軍厚木飛行場のほど近く。
戦時中に「弾除け観音」として崇敬された観音様の寺院があった。
「先祖の記録」の伝承の一助として。
戦争に関連のあったエピソードもまた、戦跡として、本サイトでは取り上げていきます。
「おたすけ観音」縁起
以下、公式サイトより。
当山二十七世 太嶽洞源大和尚(たいがくとうげん)は、現役入隊で、台湾の正蕃征伐(せいばんせいばつ)に参加し、山奥の作戦中、早朝、一人で滝の前で座禅中、滝の中に観音様を拝することができ「観音様がついていてくださるから、敵の弾に当たる事がない。」とかんじられた。
激戦で戦友達が多く戦死する中で、無事に帰還出来たので、この有難い観音様を一人でも多くの方に拝んで頂こうと、観音石像を刻み境内に安置し、観音像を描いて、沢山の人に差し上げたので、「おたすけ観音」として、第二次大戦中は、県内を始め東京等から参拝の人達が続いたといわれています。
「江田島」と陰刻された観音様。
境内には、多くの観音様がおられる。
これらのいずれか一体が「弾除け観音」「お助け観音」というわけではなく、境内の観音様を総じて「弾除け観音」「お助け観音」と捉えているようだ。
立像もあれば坐像もある。さまざまな観音様がいらっしゃる。
昭和17年(1942年)に、開設した熱き海軍飛行場「厚木海軍航空隊(第二〇三海軍航空隊)」の隊員もこぞって祈願参拝し、洞源和尚の観音様を描いた絵を身につけていると、弾に当たらないと崇敬され、「弾除け観音の御札」を求めた、という。
平和観音と陰刻された観音様。
皇紀二千六百年の建立。1940年(昭和15年)だ。
「平和」の文字が凹んでいる。
皇紀2600年で「平和観音」とは、時局柄、刻めないので、これは戦後に削って「平和」と刻んだのだろう。
皇紀2600年のときは、どのような名称の観音さまであったか。無粋ではあるが、「興亜観音」「戦勝観音」といった観音様だったのかもしれない。
いずれにせよ戦争中の「弾除け観音」は、戦後は「おたすけ観音」として、そして「平和観音」として、現世を見守っていてくれている。
もう一つ、古い観音様があった。
こちらは像ではなく、刻まれた観音様。
よくみると「弾除観音」と刻まれている。
国威宣揚 天壌無窮
昭和12年(1937)に建立された観音様
観音立像
本堂前の観音様
鐘堂の観音様
あっちこっちに観音様
観音様に囲まれた、趣深い寺院。
曹洞宗陽廣山報恩寺
報恩寺は、慶長7年(1602)8月28日曹洞宗の寺院として開山。
公式サイト
「おたすけ観音」の名称はあっちこっちにある。
今は、もう「弾除け」の時代ではない。
厚木基地から飛び立ったのかな。
空自のC-130輸送機が、報恩寺の上空を通過。
お猫様。こんにちは。
なんか、防空壕っぽい。
とてもきれいに整った寺院さんでした。
おたすけ観音報恩寺
場所:
撮影:2024年2月