令和元年9月撮影
かつて陸軍参謀本部があった地。
この場所に残されている「大日本帝国」を物語る遺構。
目次
日本水準原点標庫
「日本水準原点標庫」は、日本水準原点を保護するための建物。
明治24年5月に、大日本帝国陸軍参謀本部陸地測量部の庭園であった現在地に設置された。
現在も使用されている公的建造物において「大日本帝国」号を残している希有な建造物としても貴重。
東京都指定有形文化財(建造物)
「日本水準原点をご存じですか?」
https://www.gsi.go.jp/common/000198165.pdf
(東京都千代田区永田町1-1-2 国会前庭北地区憲政記念館構内)
この石造りの建物の中には、国内の高さの基準となる日本水準原点が設置されています。
土地の高さ(標高)は平均海面を0mとして、そこからの高さで表しますが、実用的には地上のどこかに標高の基準となる点を表示しておく必要 があります。
このため、1891年(明治24年)に陸地測量部では、この地に標高の基準となる点(水準原点)を造りました。当時、隅田川河口の霊岸島で行われていた潮位観測(6年間の平均値)と、霊岸島からこの地までの高さの観測(水準測量)結果を用いて、建物内部の水晶板目盛りの0表示の高さを、東京湾平均海面上24.500mとしました。
その後、1923年(大正12年)の関東大震災により地殻変動が生じたため、地震による影響のなかった地域からの水準測量データや油壺の験潮データを用い、原点が86mm沈下したことを確認し、原点数値を1928年 (昭和3年)3月に24.4140mと改定しました。
さらに、2011年(平成23年)3月に発生した東北地方太平洋沖地震による地殻変動で24mm沈下したため、2011年(平成23年)10月に原点数値を 24.3900mに改定しました。
東京都制定有形文化財(建造物)
日本水準原点標庫
日本全国の統一された標高決定のための基準として、明治24年(1891)5月に水準原点が創設されたが、この建物はその水準原点標を保護するために建築されたものである。設計者は工部大学校第1期生の佐立七次郎(1856~1922)。建物は石造で平屋建。建築面積は14.93㎡で、軒高3.75m、総高4.3m。正面のプロポーションは柱廊とその上部のエンターブラチュア(帯状部)とペディメント(三角妻壁)のレリーフ装飾で特徴づけられる。
日本水準原点標庫は石造による小規模な作品であるが、ローマ風神殿建築に倣い、トスカーナ式オーダー(配列形式)をもつ本格的な模範建築で、明治期の数少ない近代洋風建築として建築史上貴重である。
平成9年(1997)3月31日建設
東京都教育委員会
日本水準原点
日本水準原点は、我が国の土地の標高を測定する基準となる店である。明治24年(1891)5月にこの場所に設置した。
日本水準原点の位置は、この建物の中にある台石に取り付けた水晶板の目盛りの零線の中心である。その標高は明治6年から12年までの東京湾の潮位観測による平均海面から測定したもので、24.500メートルと定めた。
その後、大正12年(1923年)の関東地震による地殻変動に伴いその標高を24.4140メートルに改正したが、平成23年(2011年)3月11日の東北地方太平洋沖地震による地殻変動に伴い24ミリメートル沈下したため、新たに24.3900メートルに改正した。
平成23年10月21日
国土地理院
「大日本帝國」銘
菊の御紋ととにも「大日本帝国」と刻まれている。
大日本帝国
菊の御紋
大日本
帝国
「水準原点」
扉の中に「日本水準原点」がある。
年に一度、 測量の日(6月3日)近くに一般公開(開扉)されている。
日本国の原点標高は神奈川県三浦市の国土地理院油壷験潮場の験潮(検潮)と、定期的に行われる原点水準測量によって点検されている。
潮位を測る「油壺験潮場」はこちら
「日本経緯度原点」は麻布台にある。
電子基準点「東京千代田」
この電子基準点は、我が国の準天頂衛星システムや米国のGPSなどの衛星測位システムの信号を常時受信し、地球上の正確な三次元位置を計測・モニタリングする施設である。国土地理院は全国に電子基準点網を構築して、土地の測量や地図の調整に必要な位置の基準を提供するとともに、国土の地殻変動をモニタリングしている。また、受信した信号は高精度なリアルタイム位置情報サービスにも利用されている。
電子基準点「東京千代田」は、日本の基準となる日本水準点(明治24年(1891)設置)の近傍にあり、その標高を常時モニタリングする役割も担っている。
平成30年3月
国土地理院
周辺には「一等水準点」が設置されている。
甲・乙・丙・丁・戊
「丁」のみが地上に設置。それ以外は地中にある。
場所
東京都千代田区永田町1丁目1番2
国会前庭洋式庭園内(国会前庭北地区、憲政記念館構内)。
北緯 35度40分37.9899秒、東経 139度44分52.2492秒
今昔マップにて位置関係を参照。
〆