移築整備された野砲兵第一聯隊の馬魂碑(世田谷)

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世田谷区池尻・三宿・下馬、駅で言うところの「池尻大橋駅」「三軒茶屋駅」の界隈は「駒澤練兵場」があり、そして3つの陸軍砲兵部隊が駐留していた。
すなわち「三軒茶屋は軍都であった」と言っても過言ではない。

平成30年2月‐4月 世田谷区池尻・三宿・下馬、目黒区駒場・大橋界隈の散策 駒沢練兵場や陸軍騎兵学校、騎兵第一聯隊、陸軍獣医学校、糧...

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軍都「三軒茶屋」

  • 近衛野砲兵聯隊(昭和女子大・三宿中学校)
  • 野戦重砲兵第八聯隊(都営住宅)
  • 野砲兵第一聯隊(都営住宅)

上記の3聯隊のうち、野戦重砲兵第八聯隊と近衛野砲兵聯隊の記念碑は、陸上自衛隊三宿駐屯地内にある。

桜の開花タイミングとはずれてしまったけど、世田谷区の三宿駐屯地が一般開放(桜並木の通り抜け)を実施していたので、足を運んでみました。 ...

しかし、野砲兵第一聯隊の記念碑は残されていない。


野砲兵第一聯隊

野砲兵第一聯隊は、昭和11年の二・二六事件ののちに北満移駐を命ぜられ、そして大戦末期にはレイテ作戦に参加しカンギポット山麓に玉砕。
昭和20年に残存兵力はセブ島に転進し、ゲリラ戦を実施し、そこで終戦を迎えている。
日本陸軍最古の砲兵部隊である栄誉ある野砲兵第1聨隊であったが、国内には記念碑が残されていないが、玉砕したレイテ島・リモン峠には野砲兵第1聨隊の慰霊碑があるという。

そんな、野砲兵第1聨隊が駐留していた世田谷の下馬地区に痕跡として残された馬魂碑が、都営住宅下馬アパート再開発でも失われることなく、移築保存されたのは、なにより喜ばしく。
すこしでも、往時を伝承する軌跡が残ったことに感謝する。

以下、移築先の様子。


野砲兵第一聯隊の馬魂碑

5基の石碑が保存されている。

馬魂碑

詳細は不明

馬魂碑

一番大きな「馬魂碑」

碑の裏面に詳細な記述がある。

我部隊保管ノ軍馬ハ我隊将士ノ死生ヲ倶ニスヘキ戦友ニシテ平戦来時攻々黙々内ニ外ニ多大ノ功績ヲ残セシモノ枚挙ニ遑アラス 
其ノ間不幸或ハ敵弾ニ斃レ或ハ不慮ノ危害ヲ蒙リ或ハ又病魔ニ冒サレ遂ニ死ニ至レル其ノ最後ニ想ヒ到レハ憐憫ノ情ニ堪ヘス
茲ニ犠牲馬ノ霊ヲ祀リ其ノ冥福ヲ祈リ将来保管馬愛護ノ精神的自覚ヲ促サレトシテ此ノ碑ヲ建ツ
 昭和14年12月
  野砲兵第一聯隊留守隊長
   陸軍砲兵中佐 正六位勲四等 原捷吉

野砲兵第一聯隊は、昭和11年から北満に移駐しているために、石碑が建立された昭和14年の段階では、留守部隊が軍馬(保管馬)の世話をしていたことがわかる。
愛馬の愛護憐憫に溢れた慰霊の碑。

馬頭観音菩薩

詳細不明

軍馬梨山号
昭和十一年一月二十四日殉職

馬頭観音

整備中の広場。広場の名称も、まだ不詳。

下馬図書館の近く。

案内図は古いまま。

都営住宅下馬アパート16号棟17棟18棟19棟20棟のあった区画には、
「東京都立青鳥特別支援学校三軒茶屋校舎」が新設された。

場所


野砲兵第一聯隊の兵舎跡

唯一現存する野砲兵第一聯隊の兵営。韓国会館となっている。いつまでの残るかの不安があるが、往時を偲ぶ貴重な建屋。

場所


旅団の電信柱

昭和女子大の近く、「旅団」の名前を残す電信柱があった。
管理の都合、往時のままの名称を用いている「旅団線」通信線。

昭和女子大の西門

※撮影:2024年5月


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