令和元年5月散策
スキマ時間に駆け足で。
最寄りは
MRT(台北捷運淡水信義線)
路線記号「R」RedLine。
剣潭駅(Jiantan ジェンタン)
「剣潭駅」 東側の山(剣潭山)の中腹に、日本統治時代を物語る史跡「円山貯水池」と「円山水神社」が残されていると言うので、足を運んでみました。
水道局(台北自来水事業処 陽明営業分処)の脇の細道。
圓山水神社の案内地図が出ておりました。
水神社はこっちと矢印が。
ここは台湾台北ですが違和感なく神社が案内されております。
山道を登っていきます。
目次
圓山貯水池
日本統治時代の社会インフラのひとつとして「近代的な水道整備」がある。
台湾総督府は明治期より水源の整備をすすめていたが、人工が急増する台北市において従来の浄水設備だけでは追いつかなくなり、台北市北部に新しい浄水設備の建設を決定する。
明治42年(1909)に台北市南部に完成した観音山浄水場を保管するために、昭和7年(1932)に台北市北部の草山浄水場が完成。
圓山貯水池も昭和3年(1928)から工事開始しており昭和7年に完成。
そうして、「草山水道系統」として草山から圓山まで水道管で結ばれそこから台北市内に送水が始まった。
台北市にとっては2番目の水道施設。
台北市指定の古蹟「草山水道系統」
圓山貯水池施設群(現在は使用されていない)
含量水室・鋳鉄排気管・水量表・八角配水井
圓山水神社之石碑・手洗石製水槽・石灯籠・石獅・涼亭
圓山貯水池「通気塔」
掲げられた額には「活水頭」とある。
昭和6年早春
台北市長 武藤針五郎
圓山貯水池「八角配水井」
圓山貯水池の古蹟
圓山水神社(丸山水神社)
草山水道系統の施設建設は昭和3年(1928年)着工。昭和7年完成。
山の中腹ということもあり工事は難航し事故による死者も出たため、水道職員の寄付により、殉職者の慰霊と水神を祀るために圓山水神社を設けことにはじまるという。
1990年(民国79年)に荒れ果てていた神社跡を台北の水事業関係者の寄付金を募って修復したという。
この剣潭山の南側には「官幣大社 台湾神社」が鎮座していた。浄水場はその台湾神社の北側。
当時、神社を統括していた内務省の台帳に当社の記載はないため公的なものではなく、水道職員有志の私的な神社であることが伺い知れる。
創建は昭和13年4月27日。奉納された石灯籠には「昭和13年4月吉祥日」、社号標には「昭和13年4月27日」と日付が刻まれている。
当時の社殿はすでにないが、石灯篭や狛犬などが当時のままで保存されている。この地は日本統治時代の台湾水道事業の発展を物語る貴重な史跡といえるだろう。
社号標は昭和13年4月27日銘
主殿
中華風の四柱屋根の中にちいさな祠が鎮座していた。
ご由緒書
中華民国79年の再建時の石碑。(1990年、平成2年)
狛犬の台座。2017年に狛犬が盗難されてしまいました。
まだ戻ってきてません。。。盗まれたのは阿形の狛犬。
いたるところに警告がある。
2017年に水神社に落書きをし狛犬を盗難される事件があったためか・・・
もう1体の狛犬(吽型の狛犬)は無事でした。
台湾にいるのか、日本なのか、だんだんとわからなくなってきました。
奉献
水道課現業員
その下段には奉納者の名前が刻まれていた。
水盤
奉納 水
何やら小屋の跡。水道及び神社に関係する付随施設でしょうか。
日本統治時代の台湾を物語る古蹟。
水道施設としては昭和7年から、
水道施設の守り神「水神社」としては昭和13年に創建して、
そして昭和20年に終戦。
わずか7年の信仰からの断絶。
戦後の台湾においては多くの神社が破却された中で、当地では奇跡的に社号標や石灯籠、狛犬などが残っていた。これは歴史の中では伝承されていないが「残そうと尽力してくれた人々の力」があったからに違いない。
そうして1990年にかつての神社跡は台湾の人々の手によって修復され祠も設けられ「水神社」は再興している。
台湾で神社に拝する。
台湾の人々によって、日本式に祀られた祠。
国を超えた空間に感慨深いものが多く。
MRT(台北捷運淡水信義線)
路線記号「R」RedLine。
車中から。
日本統治時代は、「台湾神宮」の地。
きっとここにまた来ることになりそうです。
それが何時になるかはわかりませんが。
〆