立川市の立飛ホールディングスで、昨年に引き続いて、2022年10月27日(木)から30日(日)まで、「一式双発高等練習機」が一般公開されました。
2022年10月の今回が、「立飛ホールディングスとしての最後の一般公開」(予定)という。
スタッフに「最後?」の詳細を聞いたところ、今後は立川市が保存をし、立川市として恒常的な施設ないし展示を実施する予定という。つまり、一民間企業たる「立飛ホールディングス」として、このような形の一般公開は最後となる見通し。
本記事は2022年公開時のものです。
2021年公開時の模様は、下記の記事にて
目次
立川飛行機
新立川飛行機
国内唯一の立川飛行機「一式双発高等練習機」現存機
一式双発高等練習機
大日本帝国陸軍の練習機。
キ番号は、「キ54」。
略称は、「一式双発高練」「一式双高練」「双発高練」など。
連合軍のコードネームは、「Hickory」(ヒッコリー、クルミの意味)
開発製造は、立川飛行機。
昭和16年(皇紀2601年、1941年)に正式採用。
立川飛行機として、はじめての自社開発全金属製双発機。
傑作機として重宝され総生産機数は、1342機に及ぶ。
展示機は、飛行第38戦隊所属機。昭和18年(1943年)9月27日、能代飛行場から離陸後にエンジントラブルによって十和田湖に不時着水。乗員4名のうち3名が死亡、1名が生還。
低温淡水の十和田湖底であったために、機体腐食が少なく当時の塗装が残るままで発見され、2012年に引き揚げ。
青森県立三沢航空科学館で展示されていたが、2020年に立飛ホールディングスに譲受された。
また同時に引き上がられた天風型エンジンの1基は製造を担当した東京瓦斯電気工業(日立航空機)の後継企業にあたる日野自動車が復元処理をおこなっている。
一式双発高等練習機(一式双発高練)・キ54
「写真」
以下、写真中心にお送りいたします。
昨年の記事で詳細を記載しているので、今回は省略。
開場直後。1時間前に並んだ成果の最初の1枚。
昨年と展示の状態が異なっている。
機首の木枠がなくなっていたり、上部の窓の跳ね上げがなくなっていたり、胴体部と機首部をつなげていたり。
双発エンジンは、空冷単列星型9気筒。
東京瓦斯電気工業(日立航空機)が開発・製造した航空機用空冷星型エンジン
陸軍名称は「ハ13」、海軍名称は「天風」。陸海軍統合名称は「ハ23」。
一式双発高等練習機に使用されたエンジンは、「日立ハ13甲」 (九八式四五〇馬力発動機)。
主に、陸海軍の中間・高等練習機で使用されたエンジン。
陸軍では、「一式双発高等練習機」、「一式輸送機」、「二式高等練習機」などに採用。
海軍では、「赤とんぼ」と呼称された「九三式中間練習機」や、機上作業練習機「白菊」などにも採用されている。
立川飛行機の概史と三大生産数機種について
石川島飛行機製作所から立川飛行機へ
大正11年(1922)夏に立川飛行場が完成。(2022年で立川飛行場100周年)
大正13年(1924)11月、東京石川島造船所の出資により、石川島飛行機製作所が設立。
社長は渋沢栄一の三男・渋沢正雄。渋沢財閥と大倉財閥の資本であった。
創業地の月島は飛行場がないことから、飛行機製制作には不便ということもあり、昭和5年(1930)5月に立川に移転。昭和9年4月に陸軍から練習機の単独試作を命ぜられたことから、航空機メーカーとして地位を気づき、95式1型練習機(赤トンボ)を正式化。
昭和11年2月、2代目社長の渋沢武之助が退任し、大倉財閥系の門野重九郎が代表取締役に就任。7月に「立川飛行機:へ称号を変更した。
三大生産数機種
九五式一型練習機 2398機
九八式直協機 849機 / 九九式高等練習機 1067機
一式双発高等練習機 1347機
立川飛行機は、陸軍すべての練習機を製造していた。
初等練習機としての「九五式三型練習機」
中間練習機としての「九五式一型練習機」
そして、実践機へとつながる高等練習機としての「九九式高等練習機」「一式双発高等練習機」。
メイドイン多摩
上記の三大生産数機種は、北多摩製であった。
機体は、立川飛行機、発動機(天風系)は日立航空機、点火栓は立川工作所であった。
作業台
キ54の作業台。
重要航空遺産
日本航空協会認定。
各種説明
昨年の記事を参照で。省略します。。。
立川飛行機の建屋
おおくの建屋は、立川飛行機時代のもの。
正門
ノコギリ屋根の建屋
いずれも、立川飛行機時代の建屋。
車庫も当時からの建屋。
車庫の隣の建屋も。
写真は取らなかったけど、守衛所も。
立川飛行機の建屋の詳細は、こちらで。
立飛ビール
ビールを購入すると、ステーカーがもらえました。
一式双発高等練習機「キ54」(一式双発高練)
九五式一型練習機「キ9」(赤とんぼ・九五式中練)
※撮影:2022年10月