西東京市に投下された模擬原子爆弾「パンプキン」

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西東京市に、模擬原子爆弾が投下されていた。
つい最近にそのことを知り、投下現場に足を運んできました。
ちょうど、戦後80年の節目に当たる2025年の夏に、新しい看板が設置されたとのことで。


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模擬原子爆弾の着弾・爆発地点(しじゅうから第2公園)

模擬原子爆弾の着弾・爆発地点
 第二次世界大戦末期の昭和20(1945)年7月29日午前9時23分、1機のB-29爆撃機が中島飛行場武蔵製作所をねらって模擬原子爆弾を投下し、この付近に着弾・爆発しました。当時この場所はじゃがいも畑で、3人の女性が亡くなり、8人が重傷、3人が軽傷という記録が残っています。2人の女性は、それぞれわが子を自分の体で守り、子ども(女の子:当時7歳、男の子:当時5歳)は助かりました。
 このB-29爆撃機は「ボックスカー」と呼ばれ、その後8月9日に長崎に原子爆弾を投下することになります。

模擬原子爆弾とは
 原子爆弾を確実に目的地に投下して爆発させる訓練のために作られたもので、東京で2発、日本各地に計49発が投下されました。長崎に投下された原子爆弾と同じ形、同じ重さ(4.5t)で、核物質ではなく高性能爆薬が込められていました。
 黄色く塗られ丸い形をしていたことから「パンプキン(かぼちゃ)爆弾」と呼ばれました。
  戦後80年の節目にあたり、模擬原子爆弾が投下され市民が犠牲になった歴史を後世に伝え、平和を考える場とするため解説板を設置しました。
 令和7年7月29日
  西東京市教育委員会 教育部 地域学習推進課

投下から着弾までの想定図

西東京市は、中島飛行場武蔵製作所の北側。

8921-C6-132
1944年(昭19)11月07日‐陸軍撮影を編集 空襲前

東伏見稲荷の西側に位置する。

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下記はアメリカ・ラスベガスのアトミックミュージアム展示の「ファットマン原寸大模型」
(2025年4月撮影)

模擬原子爆弾の着弾・爆発地
ここが長崎の原爆攻撃機の最終訓練地でした。
昭和20年(1945年)7月29日午前9時23分、この公園の近くに原子爆弾の投下訓練のため米軍によって模擬原子爆弾(パンプキン)が落とされました。
当時、この場所はじゃがいも畑で、作業中の3人の女性が亡くなり、11人が負傷しました。

西東京市サイトには、以下の記載もある。

1945年8月9日長崎に投下された原子爆弾。
この投下に先立ち、訓練のため、全国で49発の模擬原子力爆弾が投下されました。
そのうちの1発は、武蔵野市にあった中島飛行機武蔵製作所を狙って投下されましたが、
実際には西東京市の柳沢駅近く、現在のしじゅうから第2公園付近に着弾し、複数の死傷者がでました。

以下、西東京市による資料も添付。

https://www.city.nishitokyo.lg.jp/enjoy/heiwa/manabu/sensaipaneru.files/a20.pdf

パンプキン爆弾
重さ4.5トン(通常の高性能爆薬2.5トン)
投下したB29(愛称ボックスカー)は、10日後、長崎に原爆を投下

原爆模擬爆弾の被害
1945年(昭和20年)7月29日、西武柳沢駅南にある現在のしじゅうから第二公園の東側に、強力な爆風を生じる爆弾1発が投下され、畑仕事をしていた女性ら3名が亡くなりました。その爆弾が何であるのか長い間不明でしたが、米軍資料関係者らの調査により、原子爆弾の投下訓練のために全国50ヶ所で実施された作戦の一つであることが判明しました。

いまは、静かな公園。

ちなみに、西武柳沢駅に近い北側には「しじゅうから公園」がある。
模擬原爆が投下されたのは「しじゅうから第二公園」の近く。

「しじゅうから」は、西東京市の鳥、とのこと。

※撮影:2025年7月

※場所:


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