仙台空襲からの戦災復興「壱弐参横丁・仙台朝市」(仙台の戦跡散策・その11)

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仙台空襲で焦土と化した焼け野原。
戦後、露天商などが集まり誕生したのが「横丁」であった。


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壱弐参横丁(いろは横丁)

昭和20年7月10日。「仙台空襲」で焦土と化した仙台の中心部。
焼け野原となった街なかで、昭和21年(1946年)、「仙台中央公設市場」が誕生したのが「壱弐参横丁」の始まり。
長屋の集合体に屋根を付けた商店街。
戦後の仙台の復興を象徴する横丁。東日本でも最大級のバラック商店街だ。
ちなみに、一番町2丁目3番地にあるから「壱弐参」(いろは)という。

ふれあい百店街・壱弐参(いろは)横丁は、物販、飲食、娯楽でにぎわう、昭和レトロがのこるダテな横丁です。

東側の入口は「仙台市立東二番丁小学校」に面している。

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西側は「サンモール一番街」というアーケード商店街と接続している。

長屋の連なり。

場所

〒980-0811 宮城県仙台市青葉区一番町

文化横丁

壱弐参横丁の隣には「ブンヨコ」と愛称される「文化横丁」がある。文化横丁は、昭和元年設立で、100周年。
大正13年に誕生した「東百軒店街」が原型とされ、大正14年に開業した「文化キネマ」に由来するという。
もともと文化横丁はサンモール一番町商店街を挟んで反対側にあった。
仙台空襲で文化キネマと文化横丁は焼失、戦後復興の昭和24年に露店・闇市から再スタートした「文化横丁」は現在の場所で再開されたという。

せんだい・宮城フィルムコミッションは仙台・松島をはじめ宮城県内での映画、TV番組などのロケーション撮影の誘致・支援を通して仙台・宮城のPRをしています。

まったく、横丁とは関係ないけど、
ちかくの「ラーメン二郎 仙台店2」を食す。


仙台朝市

仙台朝市の歴史は、仙台空襲で焼け野原となった仙台駅前に並んだ露店、通称「青空市場」から始まると言われている。

時間の都合で、朝には来れませんでしたが。

場所:

仙台の戦後復興といえば、牛タンも関係している。

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※撮影:2025年9月


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