2022年8月、「河口湖自動車博物館・飛行館」に赴きました。
毎年8月の1ヶ月間のみ公開される博物館。前々から気にはなっていましたが、ようやくに赴くことができました。
「河口湖飛行館」に関しては、多くの記事がありますので、写真中心に。
2023年の記事は下記にて
目次
河口湖自動車・飛行館
山梨県南都留郡鳴沢村富士桜高原内にある自動車および航空機の博物館。
原田信雄氏が私費を投じて設立した博物館で、毎年8月の1ヶ月間だけ開館している。
零式艦上戦闘機52型(靖國神社遊就館)
冒頭から脇道です。。。
ちなみに、靖國神社遊就館に保存されている零式艦上戦闘機52型の復元に携わったのも、「河口湖自動車博物館・飛行館」であった。(2002年、靖国神社ご創立130年記念のため遊就館に奉納)
F-86F-40 セイバー
飛行館の脇で出迎えてくれるのは、航空自衛隊創設期の主力戦闘機「F-86」。
飛行館・入口
ケイタイ電話の撮影のみOK!
デジカメとかは駄目。
最近はスマホカメラも機能向上しているから、それなりの写真は撮れるかな。そんなわけで本記事は、すべてスマホ写真となります。(スマホ=Motorola moto g PRO)
なにかのプロペラ
飛行館・館内
さっそく目に飛び込んでくる情報量の多い空間に圧巻。
まずは2機の「隼」
一式戦闘機 隼1型
天井に展示されている隼1型。
中島飛行機が開発。第日本帝国陸軍を代表する戦闘機。
一式戦闘機(ハヤブサ)1型
上昇力や加速力では、ゼロ戦をも上回る性能を持つ、旧日本陸軍の戦闘機で、日本でハヤブサを見られるのは、この飛行館だけです。
ゼロ戦が海軍機として造られたのと動揺に、陸軍機として造られたのが、このハヤブサです。抜群の性能を持つこれらの2機は、同じエンジンを搭載し、旧日本軍の主力戦闘機として運用されました。2枚のプロペラが、ハヤブサ1型の特徴です。
一式戦闘機2型(6750号機)
無塗装で展示されているのは隼2型。プロペラは3枚ですね。
一式戦闘機(ハヤブサ)2型
ゼロ戦52型と同じパワーアップしたエンジンを搭載しているため、エンジンカウリングの形状が異なり、プロペラが3枚に変更されているのが、1型との大きな違いです。天井展示の1型と比べてください。
この機体は1944年にニューギニアで米軍に捕獲され、性能調査が行われました。調査の結果、ハヤブサは操縦が容易で、旋回性能はいかなる連合国機より優れていると米軍は評価しました。
艦上偵察機 彩雲 11型1290号機
中島飛行機が開発。大日本帝国海軍の艦上偵察機。
実用化した海軍機の中で、彩雲は海軍最速機として陸上偵察機としても活用され、米軍機の追跡を振り切った際に「我ニ追イツクグラマン無シ」の名言も残っている。
1944年に愛知の半田製作所にて量産が開始。半田1号機は1944年6月に完成。終戦までに463機生産(半田では427機)されたという。
河口湖飛行館とアメリカ国立航空宇宙博物館(非公開)にのみ現存。
河口湖飛行館では、彩雲の復元作業に着手している。
彩雲の水平尾翼・垂直尾翼の復元。昨年2021年は胴体中央部が公開。少しずつ、復元が進んでいる。
彩雲の右主脚部
特殊滑空機 桜花11型 I-16
機首部に大型の徹甲爆弾を搭載した小型の航空特攻兵器。
母機(一式陸攻)に吊るされて目標付近で分離し発射される。その後はロケット推進で加速し、搭乗員が目標に誘導して体当たりを決行する。
桜花
特攻機、人間爆弾です。
米国ではBAKA BOMBと呼ばれた。
大型艦を一撃で大破させることが可能な1.2トンの大型爆弾を搭載した特攻専用の航空兵器です。
一式陸上攻撃機に吊るされた桜花は、標的付近で切り離され、人間の操縦により体当たりをしました。ロケットエンジンの搭載で急降下時には時速800km以上の猛スピードで敵艦に向かうために、連合軍は迎撃不可能と判断し、攻撃目標を切り離し前の一式陸上攻撃機に変更したほどです。
一式陸上攻撃機(一式陸攻)22型
大日本帝国海軍の陸上攻撃機。略称は一式陸攻。開発は三菱。
日本海軍の主力陸上攻撃機として活躍した。
河口湖飛行館では、12017号機、尾翼番号 62-22の機体を、現在は尾翼番号 「龍41」と塗装し、主翼を除いて復元展示している。
「龍」は第761海軍航空隊所属機。絶対国防圏防衛の主力爆撃機隊として、太平洋戦争終盤にマリアナ諸島およびフィリピンで哨戒・爆撃・雷撃行動に従事した。
一式陸上攻撃機22型
太平洋戦争海鮮から終戦まで、爆撃、低朝つ、輸送と大戦全般のあらゆる場面で運用されました。海軍大将の山本五十六元帥が最期に登場した機体としても有名です。
全長20mにも及ぶ大型機でありながら、優れた設計により幕軍の操縦性を実現した傑作機です。2,400機もの一式陸上攻撃機が生産されましたが現存する機体はmこの展示機のみです。
尾部の旋回機銃
一式陸上攻撃機の内部。
乗員出入り口を開放するとこうなる。
日の丸の部分が扉だったのですね。
前方の旋回機銃。
上方にも旋回機銃を備える。
一式陸攻の機首。曲線美。
これは、すごい。
前方視界が、ある意味で恐怖な、一式陸攻。
前に居たくない。。。
火星二一型(一式陸攻用エンジン)
今でもオイルがたれているエンジン。
91式航空魚雷(一式陸攻用魚雷)
零式艦上戦闘機(ゼロ戦)52型
大日本帝国海軍の主力戦闘機。零戦。開発は三菱。
河口湖飛行館では4機の零戦を復元し、1機は靖國神社遊就館に奉納。残り3機を展示保存している。
零戦52型1493号機「豹187」
昭和19年(1944年)5月頃、中島飛行機にて製造。栄三一型エンジン、四式射爆照準機などを装備した後期の機体。
零式艦上戦闘機(ゼロ戦)52型
強力なエンジンの搭載で、最高速度は21型より30km/h向上の560km/hにも達した後期型モデルのゼロ戦です。
エンジンのパワーアップに伴う大型化したエンジンカウリングと折り曲げ機構のない主翼先端が21型との大きな相違点です。21型と違いを較べて見てください。
展示機は、1,150馬力の最終型「栄31型」エンジンを搭載しています。
栄エンジンがわかるように展示。
栄発動機31型(中島)
栄12型 ゼロ戦用エンジン
世界で、回る唯一のエンジン。
中島飛行機が開発。零戦や隼に使用された。
エンジンが生きている証。オイルが下にポタポタと。
九三式中間練習機
大日本帝国海軍の練習機。愛称は「赤とんぼ」。開発は川西飛行機。
九三式中間練習機
天井展示の複葉機は、旧日本海軍の操縦士養成用練習機です。
海軍のパイロットはこの機で、高度な操縦技術を身につけました。
三菱や中島飛行機など海軍と関係を持つほとんどの航空機製造メーカーにより、5,800機もの機体が生産されています。
練習中に海に落ちても見つけやすいよう、尾翼が朱色に塗られていたことから、通称「赤とんぼ」と呼ばれていました。
零式艦上戦闘機(ゼロ戦)21型
大日本帝国海軍の主力戦闘機。零戦。開発は三菱。
河口湖飛行館では4機の零戦を復元し、1機は靖國神社遊就館に奉納。残り3機を展示保存している。
スケルトン状態の21型92717号機
零式艦上戦闘機(ゼロ戦)21型
昭和19年4月頃に生産された末期の21型です。
既に後期型モデルである52型の生産は始まっておりましたが、この頃までは中島飛行機により、21型も製造されておりました。
ゼロ戦の内部構造がわかる貴重な資料として残すため、できる限りのオリジナル部品を装着し、外板を張らない骨組みの状態で展示しております。
それにしても情報量が多い。。。
四式戦闘機 疾風(方向舵)
大日本帝国陸軍の戦闘機。四式戦闘機。開発は中島飛行機。
特殊攻撃機 剣(外板)
大日本帝国陸軍の特殊攻撃機(特攻機)。開発は中島。生産は昭和飛行機も参加している。生産は105機であったが、実践には使用されなかったという。陸軍名称は「剣」、海軍名称は「藤花」であった。
アツタ21型(艦上爆撃機彗星用エンジン)
愛知航空機が製造。ドイツのダイムラー・ベンツDB601のライセンス生産。
金星11型(九六式陸上攻撃機用エンジン)
三菱が開発。大日本帝国海軍の主力エンジン。
誉11型(銀河用エンジン)
中島飛行機と海軍空技廠が開発。中島飛行機の最後の量産航空エンジンでもあった。
誉11型(彩雲用エンジン)
栄12型(零戦21型用エンジン)
栄12型(零戦21型用エンジン)
製造番号12515
落下増槽燃料タンク
鉄板製タンクと木製タンク
鉄板製タンク
木製タンク
水上偵察機 零式観測機(フロート)
三菱が開発した水上偵察機。
零式艦上戦闘機(ゼロ戦)21型
大日本帝国海軍の主力戦闘機。零戦。開発は三菱。
河口湖飛行館では4機の零戦を復元し、1機は靖國神社遊就館に奉納。残り3機を展示保存している。
21型91518号機、尾翼は「AI-101」塗装(一航戦赤城の戦闘機1番機)になっている。
零式艦上戦闘機(ゼロ戦)21型
ゼロ戦は旧日本海軍の主力戦闘機で、21型は初期型モデルです。
抜群の運動性能を誇り、ゼロ戦の名を世界中に広めました。
尾翼に記された「AI-101」は真珠湾攻撃の際、空母赤城より出撃したエースパイロット板谷少佐の機番です。
展示機は90%以上ものオリジナル部材を使用して復元されており、本物のエンジンが装着された世界唯一の機体です。
零式艦上戦闘機
零式艦上戦闘機(艦上機:航空母艦から発着可能な航空機)、通称ゼロ戦は昭和12年(1937年)三菱重工、大江工場にて堀越二郎氏を主任設計者として開発が始まった。
約2年の猛スピードで試作機が完成。翌年の昭和15年7月には、正式に海軍戦闘機として採用される。ゼロ戦(零戦)の名称は、昭和15年が旧暦、皇紀2600年である、その年号最後の数字が”0”であることから、そう呼ばれた。
・最高速度550km/h(世界的なレベルは500km/h)
・航続距離2,500km(世界的な距離は500km以下)
・20mm機関砲2門と、最大の機銃を装備
そして、他に類を見ない、抜群の運動性能などから、世界一のゼロ戦と呼ばれた。
このような機械の設計・開発を行った堀越二郎氏は操縦ができなかったと云われているが、ゼロ戦の隅々までに”美”を追求した、芸術家であったとも云える。
制作から75年経過した現在でも、美しい機体をもつゼロ戦は世界的に人気が絶えない。
ゼロ戦は21型から、22型、32型、52型、62型と5回もの設計変更が行われたが、最初に設計された21型が、一番性能が良かったと云われている。
初期型のゼロ戦は空の雲の色に溶け込むように機体色はグレーであったが、後期型からは主に熱帯のジャングルで使用された為、グリーンに塗装されている。
約10,000機も作られたゼロ戦だが、現在は30機のオリジナルのゼロ戦と、1990年にロシアとアメリカで完成した3機の新造機(エンジンはアメリカ製)のみが残されている。
日本では10機ものゼロ戦が保存されているが、残念ながら何れも飛行できる状態ではない。アメリカでは飛行機は飛ばすものとの考えから、航空祭などで我々を楽しませてくれているのだが、悲しいことに我が国では、完全なゼロ戦でも”キケン”とされ、航空局から許可が出ないのが現状である。
復元前の機体の翼端
オリジナルの下地。1944年の段階では資材不足のために、内部塗装はしていなかった。
折り畳み翼端が、21型の特徴。
尾翼の「AI-101」
ライト兄弟1号機「フライヤー1」
飛行機時代の開幕。
1903年(明治36年)12月14日、ライト兄弟の第1号飛行機「フライヤー1」が人類最初のエンジン付き飛行機による飛行に成功した。
GE J79(F104用ジェットエンジン)
空冷のガソリンエンジンから、全く新しいジェットエンジンへと。
戦時下のポスター
戦時下の啓蒙活動。いろいろ。
富嶽
6発の超大型戦略爆撃機。中島飛行機が設計をすすめるも、戦局悪化で開発中止。
ラバウル航空隊ジオラマ
昭和17年のころをジオラマで再現。
そのほか
いろいろ。
野外展示
T-6 テキサン
S2F-1トラッカー
H-19 チカソー
T-33A シューティングスター
F-86F セイバー(ブルーインパルス)
C-46D コマンドー
1190形蒸気機関車
1923年(大正12)のドイツ・コッペル社製の蒸気機関車。
2両が輸入され、鶴見臨海鉄道301号機、302号機となるも、鶴見臨海鉄道は戦時買収で国有化され、1190形となった。1190形は1950年に三井埠頭に譲渡され、1968年まで使用された後、廃車後に河口湖自動車博物館で展示されている。
F-104DJ
河口湖自動車博物館のうえにも飛行機が。
今回は、飛行館のみを見学しました。自動車は余り興味が沸かなかった、、、ということもありましが。
お土産
零戦21型に、隼1型に、一式陸攻22型で。
ここはすごいです、これはまた来たいです!
歴史遺産、戦争遺産を修復復元して後世に伝承する現在の工廠ですね。
彩雲も楽しみ、です。
※撮影:2022年8月