JR根府川駅に残る機銃掃射弾痕(小田原市)

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昭和20年。小田原周辺は度々の空襲に見舞われていた。

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小田原地方の空襲

界隈では、二宮駅が8月5日にアメリカ軍戦闘機P‐51の機銃掃射を受けていた。

JR二宮駅南口のロータリーに「少女の像」が立っている。ガラスのうさぎを手にした、少女の像は、戦争にまつわるエピソードがあった。 ...

この日、襲来したP-51戦闘機の編隊は、各地の鉄道駅や列車を襲撃し続けている。二宮駅や小田原駅・下曽我駅・国府津駅などに機銃掃射を加えながら、丹沢山地を抜け内陸部へと飛行を続け、八王子・浅川の上空に到達し、走っていた列車に機銃掃射を行った。

平成31年1月撮影 JR高尾駅には「銃撃痕」が残っていたが、高尾駅からちょっと奥まったトンネルでも「銃撃」による悲劇があった...

また、小田原でも、7月から8月にかけて、いくどとなく空襲を受けていた。東京への空襲の進入路や退出路のひとつであった、からのようだ。

小田原地区は大規模な絨毯爆撃こそ受けることはなかったが、小規模な空襲は数度あった。そして関東地方を空襲した米軍機の帰路にあたるために、たび...

今回、訪問した根府川駅に残る機銃掃射弾痕が、いつの空襲かは定かではないが、昭和20年7月末頃、とされている。


JR根府川駅に残る機銃掃射弾痕

昭和20年7月末から、小田原地方は連日、米軍艦載機の空襲を受けていた。低空で飛び交う艦載機(主にP‐51マスタングか)からの機銃掃射は、人々を恐怖のどん底へと引き落としていた。
JR根府川駅の上りホームには、その機銃掃射の弾痕が多く残っている。

以下、見つけたものを、仮で番号を振りつつ、掲載。
見逃しや機銃掃射弾痕ではないものもあるかもしれませんがご了承いただければ幸いです。

【1】
階段からホームに降りたすぐ近くの屋根の柱の上部に大きく抉られた機銃掃射の弾痕がある。抉られた柱をのちに後ろに当て板をして補強しているものと見られる

【2】

屋根の下の柱には、いくつも抉られたあとがある。

【3】

【4】

【5】

【6】

【7】

【8】

【9】

屋根を支える柱も。手前の柱は綺麗なために、のちの補強か。

【10】

着弾の衝撃で凹んだと思われるコンクリート壁。

【11】
階段の壁にも穴が。

内側。

【12】
階段を支えるコンクリートが削られている。

【13】

階段の壁が、えぐられている。

【14】

弾痕の穴を木片で埋めているようだ。

【15】

【16】

【17】
【18】

【19】

【20】

【21】

【22】

【23】

【24】

これは違うかもしれないけど、削れているので、、、

【25】

【26】

【27】
【28】
階段を支える鉄筋部分。

【29】

まだまだあるかもしれませんが、ざっくりでも29箇所を見ることができました。


根府川駅旅客上家1号

昭和8年8月11日の建物財産標を確認できました。

風光明媚。


関東大震災殉難碑(根府川駅列車転落事故)

大正12年(1923年)9月1日。
東京発真鶴行普通第109列車が、根府川駅のホームに入線しかけたところで、関東大震災によって引き起こされた地滑りによる土石流に遭遇。根府川駅の駅舎やホームなどの構造物もろとも海側に脱線転覆して最後部の客車2両を残して全てが海中に没してしまった。
この事故に遭遇した列車の乗員乗客と根府川駅にいた乗客及び駅勤務職員のうち、112人が死亡している。
関東地震が原因となって引き起こされた最悪の被害を出した列車事故であった。

昭和48年(1973年)に根府川駅の改札口横に、鉄道関係者によって慰霊碑が建立されている。

関東大震災殉難碑

昭和四拾八年九月壱日 根府川駅職員一同

合掌


根府川駅(根府川駅旅客上家3号)

根府川駅旅客上家3号(駅本屋)は、大正13年10月5日と建物財産標に記載があるのが確認できる。。大正12年9月1日の関東大震災で駅舎を消失し、その翌年に再建された駅舎となる。

関東の駅百選認定駅

小田原ふるさとの原風景百選


根府川の高射砲陣地跡

根府川公民館には高射砲陣地が設けられていた。
高射砲部隊の所属していた元兵士が、1988年に、この地に陣地があったことを詠んだ句碑を建立している。

訪いくれば
 要塞たりし
丘高く
 公民館の白き
 映えおり
  正夫

高射砲陣地跡からは、海を望める。

※撮影:2022年8月


位置関係

国土地理院航空写真
地図・空中写真閲覧サービス
ファイル:USA-M46-A-7-1-199
1946年2月15日、米軍撮影の航空写真。

拡大。根府川駅と高射砲陣地跡。


参考

小田原市のリーフレット「伝えておきたい小田原の戦争と平和」


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