渋川護國英霊殿

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平成30年12月撮影

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渋川護國英霊殿

説明板
この社はお国のために亡くなられたご英霊が祀られております ご英霊に感謝いたしましょう

群馬県渋川市・並木児童公園に隣接して鎮座。 当時の群馬県北部11か町村、幾多郡三か村の、日清・日露の戦役までの戦没者114名を合祀し、大正8年に建立したことにはじまる。

渋川護國英霊殿 社号標 護國英霊殿
陸軍大将鈴木孝雄書


鈴木孝雄は内閣総理大臣・鈴木貫太郎海軍大将の弟。現役を退いてから靖國神社第四代宮司や、戦後は偕行社会長を務めている。昭和39年1月29日死去。

戦後、これまで管理してきた「渋川在郷軍人分会」は解散し、公的機関による英霊殿への行事は禁止される。昭和21年、有志により「英霊奉士会」が発足し渋川町出身の戦没者を英霊殿に合祀。現在は「渋川市戦没者慰霊奉賛会」が維持管理を行っている。

この地はもともとは真光寺境内にして「並木白山権現」(白山妙理権現・北裏並木の白山宮)の地であり、長尾氏の白井城の地であったという。
白井城は1572に武田信玄によって攻略され焼失。信玄は真光寺・白山宮を再建。現在の石宮は寛文12年(1672)に白山宮社殿跡に建立されたもの。

瑞垣内には、 水雷缶(浮標水雷缶・浮標水雷罐=敷設水雷/機雷=機械水雷)と砲弾が奉じてあった。

並木児童公園に建立されている碑石群

英霊碑

大東亜戦争における渋川地区出身戦病死者の慰霊顕彰 昭和29年3月31日 渋川町英霊奉賛会 建立

ほかにも征清役(日清戦争)・北清事変(義和団事件)・日露戦役(日露戦争)にまつわる慰霊碑が建立されていた。

訪れた当初、情報が少なく公園の中に小さく鎮座しているのかと思って足を運んでみたら思った以上に大きくしっかりとした空間に驚きを感じ。
神道形式の護国神社の形態を維持した英霊殿。群馬県北部地区出身の英霊を祀りし空間。

真心こめて慰霊参拝を。

上州の空と山々を仰ぎながら…

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