東京都港湾局専用線の廃線跡(晴海・豊洲)

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戦後に敷設され、昭和を支えるも、昭和の幕引きとともに全廃となった貨物線。
時代区分としては、近代から現代の間ではあるが、産業遺産として、以下に記録しておく。


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東京都港湾局専用線「深川線」「晴海線」

豊洲地区・東雲地区は大正12年(1923)に発生した関東大震災の瓦礫処理で埋め立てられたことにはじまる。
昭和12年(1937)に豊かな埋立地となることをねがい「豊洲」と命名。

晴海地区は明治中期から昭和初期にかけて東京湾澪浚工事で発生した海底の土砂を投下した埋立地。
昭和4年(1929)月島4号地(東京湾埋立4号地)として埋立が完了。昭和12年に「晴海」と命名。
昭和15年(1940)に開催予定だった東京オリンピックと同時開催予定だった紀元2600年記念日本万国博覧会の開催地として整備されるも日中戦争(当時の呼称は支那事変)のため中止される。

東京湾の中心であった芝浦埠頭は、戦中は陸軍が軍需用に利用していた。そして戦後は、芝浦や晴海が進駐軍により接収。
芝浦埠頭に変わる港として、戦争前より建設が進んでいた豊洲埠頭の工事が昭和24年(1949)より急ピッチで再開され、昭和25年に豊洲埠頭の運用が開始。昭和28年(1953)に越中島駅から豊洲埠頭まで2590mの「深川線」が開業。越中島までの貨物駅は国鉄の運用。越中島から南は東京都の専用線であった。
晴海地区の米軍接収が解除されると晴海埠頭まで専用線は延伸され、昭和32年に「晴海線」が開業。
東京港の臨海鉄道は、再開発により順次廃止され、昭和61年(1986)1月13日に「深川線」が廃線。平成元年(1989)2月10日に、東京都港湾局専用線として最後まで残っていた「晴海線」も廃線となり、全廃。


晴海橋梁・春海鉄道橋
東京都港湾局専用線(晴海線)

昭和32年(1957)11月26日、完成。
晴海運河に架かる東京都港湾局専用線(晴海線)橋梁。
晴海線は平成元年(1989)2月10日に廃止となったが、撤去を免れ、当時の遺構として現存。
今後は人道橋や公園などの活用が検討されているが、老朽化の修繕が必要であり、未定。

並行する「春海橋」から観察が可能。晴海橋梁そのものは立入禁止。

晴海橋梁
設計 日本国有鉄道東京工事局
施行 オリエンタルコンクリートKK
竣工 昭和32年11月26日

橋桁製作は石川島重工業。
当所は国鉄による運行がされていたが、昭和33年以降は東京都に移管。

東京都立春海橋公園

晴海と春海の使い分けがわかりません。

立入禁止、です。

水上バス「ヒミコ」が通過。ヒミコは松本零士デザインで2004年就航。

場所


晴海から春海橋を渡って豊洲へ。
廃線跡を活用した遊歩道がところどころに展開されている。
レールが埋め込まれていたり、線路を模していたり、している。


豊洲橋梁跡・橋脚

豊洲運河を渡る深川線「豊洲橋梁」の橋跡のみが残されている。平成12年(2000)に撤去。

場所


塩浜

廃線跡が駐車場となっている。

越中島の方に向かうと、線路跡が残された空間がある。

場所

取り残された空間がある。

場所

都有地

越中島側

越中島貨物駅から伸びている線路はここでおしまい。

東京都港湾局専用線跡の方向

上記の写真の逆側、この先は、越中島貨物駅につながる。

再開発に取り残された空間が点在している廃線跡。
東京23区内で気楽に楽しめる廃線跡散策、でした。

※撮影は2020年10月

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