焼夷弾の花立(杉並区)

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荻窪駅と井萩駅の中間あたり。
住所でいうと、杉並区清水2丁目15番7号。
住宅地の静まる小祠で、意外な花立があった。

このカタチ、この六角形、既視感あります。
M69焼夷弾、ですね。

なんでも、この界隈を空襲された際に、落ちた焼夷弾を再利用しているとのことで。

お賽銭箱の左右の花立てが、焼夷弾。。。

民間信仰石塔
 ここに建立されている石塔は、向かって右が宝永5年(1708)銘笠付角柱庚申塔(帝釈天)、左が安永10年(1781)銘角柱型廻国供養塔です。かつてはここより北西約100メートルの現NTT井草ビル北西角(旧称馬場下道の路地角)に造立されていましたが、大正から昭和初めに行われた土地区画整理の際に当地に移されました。
 庚申塔は、庚申の夜に体内にいる三(さん)尸(し)の虫が、その人の悪業を天帝に告げ、寿命を縮めるという道教の説から、人々が集まって夜を明かす庚申待を行った講中が、供養のために建てたものです。この塔は、青面金剛や三猿が彫刻された庚申塔で、「奉造立帝釈天王講中」と刻まれています。一般に庚申信仰では青面金剛が主尊とされますが、日蓮宗では帝釈天を庚申信仰の対象としています。この塔からも、日蓮宗での帝釈天信仰と庚申信仰の結びつきがわかります。また、青面金剛は六臂のものが一般的ですが、これは八臂の青面金剛で区内でも珍しいものです。
 廻国供養塔は、西国33観音などの霊場巡拝を遂げたことを記念して建てたものといわれます。西国33観音に加え、江戸時代には坂東33観音、秩父34観音が設けられ、100観音巡拝の観音信仰が盛んになりました。この塔も100ヶ所を巡拝したことを記念して建てたものと思われます。塔上部の8字の梵字は、聖観音真言をあらわしています。真言とは、口で唱えると仏と一体となれると考えられている、仏の教えを表現する梵語です。
 なお、花立にはこの辺りに落ちた焼夷弾の残骸を使用しています。
  平成19年7月
   杉並区教育委員会

場所

〒167-0033 東京都杉並区清水2丁目15−7

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M69焼夷弾

このカタチ。同じですね。
下の写真は、「小金井市文化財センター」にて展示されているM69焼夷弾。

燃えずに落ちた焼夷弾は、風呂の焚き付けにつかわれた、と。それなら「花立」に使用しても違和感なし?

M69焼夷弾
太平洋戦争当時、アメリカ軍が木造の多い日本家屋を焼き払うために開発した兵器で、爆風で破壊する爆弾とは異なります。38発のM69焼夷弾を束ねた親弾(E46集束焼夷弾)がB29爆撃機から投下され、空中でバラバラの子弾(M69焼夷弾)に分離して、地上に着弾すると油脂を成分とする焼夷剤が火災を引き起こします。燃えずに落ちた焼夷弾は、風呂の焚き付けに使われることもありました。
この焼夷弾には「焼夷弾」と書かれていますが、のちに書き込んだものと思われます。

こちらのM69焼夷弾は、「江戸川区小松川さくらホール・江戸川区平和祈念展示室」展示品。

下は、「東京大空襲・戦災資料センター」展示品。

E46集束焼夷弾(模型)
1945年3月10日の空襲で主に使われた焼夷弾。中にM69油脂焼夷弾を38本納めており、空中で尾翼部分にある信管が作動してバラバラになって落ちてくる。

M69油脂焼夷弾 AN-M69
1945年3月10日の空襲で主に使われた焼夷弾。尾の部分にストリーマーと呼ばれる4本のリボンがついており、空中姿勢を安定させる。
着火すると、ふたのようなストリーマーの部分は吹き飛んで外れ、筒の内部から粘着性の燃焼剤が飛び出して発火する。


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