愛国婦人会発祥之地碑

九段 令和元年8月撮影

愛国婦人会発祥之地碑

愛國婦人會 發祥之地碑
小笠原長生書

碑裏
會祖 奥村五百子刀自銅像跡記念の為 之を建つ
昭和三十年秋
奥村刀自法要會

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明治33年(1900)に勃発の北清事変(義和団事件)に際し、婦人運動家の奥村五百子(1845年06月07日-1907年02月07日)が、慰問団の一員として現地視察をしたことをきっかえに、女性による兵士慰問と救護、遺族支援が必要と考え、1901年に近衛篤麿・小笠原長生や華族婦人らの支援を受けて愛国婦人会を創設したことにはじまる。

初代会長は、宮内大臣であった岩倉具定の妻岩倉久子
明治36年(1903)には閑院宮載仁親王妃智恵子を総裁に迎え入れた。

大正9年(1920)、会長に下田歌子が就任。下田歌子は実践女子学園の創設者。

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愛国婦人会は昭和16年6月、大日本連合婦人会・大日本国防婦人会との婦人3団体と統合が決定。

愛国婦人会
 1901-1942 内務省・厚生省系 略称「愛婦」 
大日本連合婦人会
 1931-1932 文部省系 略称「連婦」 
大日本国防婦人会
 1932-1942 陸軍省・海軍省系 略称「国婦」 

昭和17年(1942)2月2日に3婦人団体が統合して「大日本婦人会」が新設結成。
位置づけとしては、大政翼賛会の下部組織。

大日本婦人会
 1942-1945
 陸軍省・海軍省・内務省・厚生省・拓務省の共同所管下
 略称「日婦」

昭和20年6月13日、国民義勇隊が編成され、大政翼賛会は解散。大日本婦人会も解散となり、国民義勇隊女子隊に改組編入された。(昭和20年9月2日解散)

愛国婦人会発祥のこの地には奥村五百子銅像があったというが現存せず。
奥村五百子 故郷の佐賀唐津では、戦後に奥村五百子銅像が再建している。

石碑は再開発によって九段坂病院の駐輪場の後ろ、お堀側に移築。

軍人会館(九段会館)の隣が愛国婦人会の発祥の地。
 日本体育会体操学校之碑
 愛國婦人会発祥之地碑
 九段精華学校発祥地
3つの石碑がまとめて保存。

写真奥の九段会館は(腰巻建築)工事中。