JR足利駅。
なんとなく足利を散策したいと思い、足を運んでみたら、これは近代建築ですね。
足利散策の小話とともに、掲載しておきます。
近代史としての足利散策はそれぞれ別立てにて。
正直って、都内から足利に行くには、JRよりも東武のほうが圧倒的に楽ではある。
今回は、JRの「休日おでかけパス」切符を使用した場合、足利まではフリーエリアのため、それを活用してみたという理由もある。
目次
足利駅
明治21年(1888)5月22日、両毛鉄道の駅として開業。
昭和8年(1933)現在の駅舎が完成。
平成10年(1998)関東の駅百選に選定。選定理由は「歴史のある土地にありながらステンドグラスを使い開設当時の外国文化を表す洋風な建築模様が目をひく駅」。
平成20年(2008)7月25日、落雷直撃によって駅舎2階部分の一部を焼失。
平成26年(2014)駅舎観光美化工事
平成31年(2019)「現今の足利の礎を築いた交通・物流基盤施設、昭和モダンの風情と煌めきを留める歴史的建造物」として、土木学会選奨土木遺産に選定。
かつて庇の上のガラスはステンドグラスだったそうだけど、なくなってしまったようで。
以下、近代史からは逸脱するけど、なんとなく足利観光編をざっくり掲載。
EF60 123 形直流電気機関車
駅前に。かつて両毛線で貨物を牽引していた。
足利駅前の観光ガイドマップ。
「日本一の足利3名所」が4つあるなと思ったら、足利学校と鑁阿寺はセットのようでした。
鑁阿寺・足利氏邸宅跡
足利学校の隣にある鑁阿寺、(足利学校は別記事にて)
国史跡。足利氏の氏寺。また足利氏邸宅跡として、日本100名城のひとつにも数えられている。
鑁阿寺本堂(国宝)
建久7年(1196)に足利義兼が建立。
雷火により正安元年(1299)に再建。
鑁阿寺多宝塔(栃木県指定文化財)
開基足利義兼の創建。
元禄5年(1692)徳川五代将軍綱吉の母、桂昌院尼が再建と伝わるが、寛永6年(1629)までさかのぼることが判明している。。
鑁阿寺大銀杏
開基足利義兼のお手植えと伝わる。
鑁阿寺経堂(国指定重要文化財)
開基足利義兼の創建。
現在の建物は、応永14年(1407)に関東管領足利満兼の再建。
鑁阿寺鐘楼
開基足利義兼の創建。建久7年(1196)建立。
梵鐘は元禄年間の再鋳であるが、歴史的資料があるために、戦時中の金属供出は免れている。
征夷大将軍足利尊氏公像
平成3年造。
足利尊氏鎧
NHK大河ドラマ「太平記」での足利尊氏の鎧。
渡良瀬橋
現在の鉄橋は昭和9年(1934)の架橋。
昭和9年11月の大日本帝国陸軍の大演習が足利で開催される際に、従来の旧橋(木橋)では陸軍車両の走行に困難をきたすために、急遽で鉄橋として架橋された。
夕日までは、待てませんでした。。。
渡良瀬橋歌碑
森高千里の名曲、渡良瀬橋の聖地。
ボタンを押すと、曲も流れます。
八雲神社
足利の氏神様。足利総鎮守。
貞観年間(859-876年)に、佐野唐沢山城主であった藤原村雄(秀郷の父)が夢のお告げにより素盞嗚男命他二神を祀ったのが始まりとも、貞観11年(869)に清和天皇が夢のお告げにより右大臣藤原基経に命じて祀らせたともいわれている。
平成24年(2014年)出火により社殿全焼。
平成29年(2017年)内宮別宮の月讀荒御魂宮から式年遷宮の古材を譲り受け社殿を再建。
お参りしてきました。
足利織姫神社
現在の社殿は、昭和12年(1937)の再建。
祭神は天御鉾命(服部連祖)と八千々姫命。
社号標は、金子堅太郎の謹書。
昭和12年の社殿。
渡良瀬橋と足利男山。
山頂の男浅間神社の社殿も見えますね。
昭和10年築のRC造(鉄筋コンクリート造)。
足利織姫神社といい、男浅間神社といい、戦前のRCA造の社殿は、都内以外では珍しい建造物。
足利と足利織物の歴史
樅山唯四郎君像
これは台座、ですね。。。供出されたようです。
樅山唯四郎(1861-1922)は、足利の発展に尽力し、学校の設立や、織物組合を立ち上げたりしている。
足利駅と渡良瀬橋以外は、近代史跡の要素はないですね。
もっとも、足利織物を掘り下げれば、そこは近代史の範疇ですが、、、
※撮影:2023年1月